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『増補 日本人の自画像』 なぜ自国の死者が先だったのか?

2022.02.06 22:12|社会批評

敗戦後論 (ちくま学芸文庫)


◇『敗戦後論』について
 加藤典洋氏の『敗戦後論』が1997年に出版された時には大いに話題になりました。加藤氏がこの本で書いたことが批判を呼び論争になったからです。僕自身もちょっと遅れて『敗戦後論』を読みましたが、よくわからないままになってしまったことも多かったように思います。というのも、加藤氏も自戒して語っているように、加藤氏の著書は晦渋で論旨を追いにくいところもあるからです。
 加藤氏は『敗戦後論』において日本社会の「ねじれ」について論じていました。このねじれは戦争に負けたことによって生じたものです。戦争に負けた側は自分たちが義のために戦ったと信じていたとしても、それを否定せざるを得なくなるからです。
 加藤氏が指摘したのは、日本は負けた時にその「負け点」をうまく引き継げなかったということです。きちんと負けを認めてから前に進むべきところをうやむやにしてきてしまったのです。そのことがねじれにつながっています。ねじれには占領国から押し付けられた「憲法9条」の問題や、「天皇の戦争責任」の問題などがあります。そして、一番議論を呼んだのは「二様の死者」の問題です。
 「二様の死者」とは、義のない戦争に駆り出されて無意味に死んでいった「日本の三百万人の兵士たち」と、日本軍が行った侵略戦争によって殺された「アジアの二千万人の死者」のことです。このことに関して加藤氏はこんなふうに書いています。「日本の三百万の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼をつうじてアジアの二千万の死者の哀悼、死者の謝罪にいたる道は可能か」。
 こうした記述は、アジアの死者に対する謝罪が先なのではないかとの批判を招くことにもなりました。加藤氏は自国が先で、他国は後という後先の問題を言いたかったわけではなかったようですが、読者にはそう受け止められることになったのです。
 加藤氏は同書の中で「日本が他国にたいして行ったさまざま侵略的行為の責任を、とらず、そのことをめぐり謝罪を行っていない」とも書いています。それにも関わらず自国の死者を先に置くということを論じたわけです。
 ちなみに『敗戦後論』は3つの論文からなっています。議論を呼び起こした「敗戦後論」と、それに対する反論を受けて書かれた「戦後後論」と「語り口の問題」です。「戦後後論」と「語り口の問題」では、反論に対して答えているわけですが、僕にはそれがうまくつかめていなかったような気がしています。しかし、今回紹介する『増補 日本人の自画像』(2000年)という加藤氏の本は、『敗戦後論』の原論のような形にもなっていて、『敗戦後論』の加藤氏が言わんとしていたことが少しはクリアになったような気がします。

増補 日本人の自画像 (岩波現代文庫)



◇『敗戦後論』の原論
 『増補 日本人の自画像』の宣伝文句には「私たちは自分たち自身を、どのように描いてきたのか。」とあります。自画像というのは肖像画とは異なるということです。どこが違うかと言えば、自画像は他人から見た自分だけではなく、自分にしか見えない自分を含んでいるということになるでしょう。この本は荻生徂徠、本居宣長、福沢諭吉、柳田国男、吉本隆明たちの自画像制作の試みを追うことになります。
 松岡正剛氏は「加藤のお手並みや包丁さばきにおもしろいものを感じた」として、この本の詳細な要約を「松岡正剛の千夜千冊」にアップしています。その要約はそちらを読んでもらうとして、この本を僕がおもしろいと感じたのは『敗戦後論』の原論的な意味合いの部分です。
 『敗戦後論』の最初のエピソードにこんなことが書かれていました。小学校の頃に加藤氏の学校と他校とで相撲の勝負があった時のことです。この勝負の結末は、加藤氏の学校の代表が土俵際に追い詰められ、最後はこらえきれずに腰を落としてしまいます。ところがうまい具合に足が相手の腹にかかり、巴投げの形になります。加藤氏の学校の生徒は一斉にこれを囃し立てたそうです。相撲の勝負がいつの間にか柔道になったわけです。突然ルールが変わってしまったのです。
 日本が戦争に負けた時に起きたこともこれと似ています。それまで鬼畜米英と叫んでいたのが180度転換してアメリカべったりになり、天皇は現人神から人間になります。こうしたことは戦争に負けたから生じたわけですが、この転換はいつの間にか行われています。
 新聞などもそれまでは「撃ちてし止まん(敵を撃破したら戦いをやめよう)」と言っていたのに、とりあえず「終わってよかった」「喧嘩はいけない」といった論調になります。負けたということを認めるべきところだったのに、それをうやむやにした形で戦後が始められたために「ねじれ」が生じています。「ねじれ」は戦争に負けたことから生じたと上述しましたが、『日本人の自画像』ではその点についてもっと大きな視点から見て、それを補足しているようにも感じられました。
 『敗戦後論』の冒頭のエピソードにあった「ルール変更」について、『日本人の自画像』では別の言い方をしています。加藤氏は『日本人の自画像』で日本の思想家たちを取り上げるわけですが、彼らはその多くが同じ過ちを犯していると指摘しています。加藤氏はそのことを「内在」の思想「関係」の思想というキーワードで示していきます。

◇「内在」の思想から「関係」の思想へ

 二つの違いを取り出すために、一、いまいる自分の場所から、自分の考え、価値観を作り出し、それに照らしてものごとを考えてゆくあり方と、二、それとは逆に、自分の考えはさておき、他との関係から価値を割り出してくる考え方の間に、線を引き、前者を「内在」の思想と呼び、後者を「関係」の思想を呼んでおく。  (『増補 日本人の自画像』 p.218-219)

 日本の思想家たちが躓いたのは、日本には「関係」の思想というものがなかったからです。日本において「関係」の思想が発見されたのは開国を迫られた時代になります。それまで日本は鎖国状態にあり、内に閉じこもった自分だけの「内在」の思想だけでやっていけたわけです。しかし、開国によってそれではダメだと気づかされます。「内在」の思想は国際社会では通用しないことが明らかになったからです。
 西洋諸国は日本に「関係」の思想を押し付けてきたとも言えるわけですが、彼らがその「関係」の思想というものを獲得するまでには大きな犠牲を払っています。その犠牲というのが「三十年戦争」だったとされます。
 「三十年戦争」ではカトリックとプロテスタントは自分たちが正しいと信じて戦い続けた結果、大きな犠牲を出すことになりました。Wikipediaの記載によれば「「最後で最大の宗教戦争」ともいわれ、ドイツの人口の20%を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つ」とされます。
 自分たちは正しい。それは理解している。しかしながらそれをそのまま推し進めると犠牲が大きいことも、「三十年戦争」で痛いほど理解したわけです。だからとりあえずの「次善の策」として、つまり妥協として選ばれるのが「関係」の思想ということになります。
 こうして制定されたのがウェストファリア条約で、これが国際法というものにつながることになります。西洋諸国もそれぞれの国がそれぞれの「内在」の思想で突き進んだわけですが、そこで痛い目に遭うことになり「関係」の思想というものを学んだというわけです。

◇日本における関係の発見
 日本の開国はペリーの黒船来航(1853年)から始まるとされていますが、加藤氏は幕末という時代はアヘン戦争(1840年)を機に始まるとしています。それまでの中国文明下における朱子学の世界とは別の世界に、日本が投げ入れられることになったわけです。そこで日本が初めて知ったのが、国際法というものになるわけです。これこそが「関係」の思想ということになります。そこでそれまでのルールが通用しないことに日本は驚いたわけです。
 そして、同じようなことは1920年代にも起きているとされます。西洋諸国のルールではそれまでの植民地獲得は当然のものとなっていました。ところが獲得するべき植民地には限りがあるわけで、次第に問題が生じてきます。すると今度は植民地などまかりならんということにルールが変わることになります。日本はそんなルールの変化に対応できずに孤立していきました。その孤立は1945年の敗戦へとつながるわけです。脱亜入欧をスローガンとして西洋諸国の仲間入りをしようとしていた日本は、突然のルール変更にぶち当たったということになります。
 加藤氏が言わんとしていることは、西洋諸国のルール変更が酷いという点ではなく、「内在」の思想は必ず「関係」の思想にぶつかるということです。日本の思想家たちが躓いたのも、この点だったということになります。

◇二様の死者
 ここから先は加藤氏が明示的に書いているわけではない部分も含みますので、僕の勝手な解釈ということになります。
 『敗戦後論』で一番議論を呼んだのは、「二様の死者」という「ねじれ」でした。これに関して加藤氏は『日本人の自画像』で直接触れているわけではありません。ただ、「内在」の思想と「関係」の思想というアイディアを提出し、「関係」の思想の必然を論じつつも、同時に「内在」の思想の重要性を説いている部分には『敗戦後論』とのつながりを感じました。加藤氏が福沢諭吉の「瘦我慢の説」に準拠しつつ論じていることは、「内在」の思想をおろそかにすると大切なものが脱落するということです。
 加藤氏は『敗戦後論』の後に書いた『日本の無思想』『戦後的思考』という著作においても、ハンナ・アーレントの議論などを通じて「公」と「私」の関係性や、私利私欲に基づいた「公共性」というものを論じています。これを『日本人の自画像』の議論と関連させれば、「内在」の思想は「私」というものに通じるでしょうし、「関係」の思想は「公」や「公共性」というものに通じているでしょう。
 『日本の無思想』や『戦後的思考』での議論でも、加藤氏は「公」よりも「私」というものの方が大きいとします。そして、「公共性」というものは、本来対立すると思われている「私」とか私利私欲といったものに基づいて構築されていかなければならないとしました。そうでなければ現実に即したものにならないと考えていたからなのでしょう。加藤氏がこんなふうに「公」と「私」の関係性を考え続けていたのは、『敗戦後論』において自国の死者を先に置くと論じたことともつながっているように感じてしまうのは考えすぎでしょうか。
 実は加藤氏はすでに亡くなられたのだそうです。昨年『日本人の自画像』を初めて読んだ時にはそれを知りませんでした。最後は憲法9条に関して詳しく調査しておられたようで、意志を受け継いだ人たちによって9条関係の著書がいくつも出版されたようです。これは『敗戦後論』で展開していた、憲法9条を選び直すということを、さらに精緻に進めることになるんじゃないかと推測しています(まだ時間がなくて読めてませんが)。加藤氏の代表的な著作とされる『敗戦後論』ですが、その後の加藤氏の著作も『敗戦後論』に書きつくせなかったことを考え続けてきたもののようにも感じました。

増補改訂 日本の無思想 (平凡社ライブラリー)


戦後的思考 (講談社文芸文庫)


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『「空気」と「世間」』 日本の息苦しさについて

2016.10.05 23:44|社会批評
 劇団『第三舞台』を主宰していた鴻上尚史氏の新書本(初版は2009年)。

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)



 「空気読めない」の略語「KY」が流行語になったほどなのに、その「空気」とは何なのかということは結構曖昧です。有名な山本七平氏の『「空気」の研究』はまさにその「空気」についての本ですが、「空気」は日本人にとって当たり前のものとされているからか、それを明確に定義するようなこともなかったように思います。というよりも明確に決められない鵺のようなわけのわからないものだからこそ、「空気」が力を持つことがあるということなのだろうと思います。
 この『「空気」と「世間」』において著者・鴻上氏は、「空気」とは「世間」が流動化したものだと示しています。この説明はとてもすんなりと納得させるものがあるように思えます。

 鴻上氏は先行する研究である阿部謹也氏の『「世間」とは何か』『日本社会で生きるということ』などの本から「世間」について整理します。西洋からの輸入物である「社会」という言葉は、「個人」という言葉と対となっています。日本にはそれまで「社会」という言葉も「個人」という言葉もなかったのだそうです。西洋にはキリスト教のような一神教があって、「個人」は神と1対1で向き合うことになります。そんな「個人」が契約を前提として集まって「社会」を形成します。一方の日本人が生きていたのは「世間」というものであって、西洋風の「社会」は存在しなかったのです。
 「世間」の特徴として挙げられるものとして「共通の時間意識」「差別的で排他的」というものがあります。小さな共同体では過去はもちろんのこと、明日も明後日もその先もそこで生きていくという了解がありますし、その共同体の者にとって同胞は仲間であり外部の者とは区別されて守られることになります。「世間」には、一神教のような明確な指針はないのかもしれませんが、周りの者がやっていることと同じことをしていけば生きていくことができたわけです。と同時に「世間」はそのしきたりを守りたくない者にとっては足かせにもなります。
 しかし、この何十年かの間に「世間」は壊れつつあります。グローバル化した世界では移動することは簡単になり、「世間」というものも流動化していくことになるのです。それが「空気」と呼ばれることになるわけです。「空気」は「世間」よりも一層実体を伴わないものです。だからその「空気」を推し量ることも難しい場合もあるでしょうし、それに対抗しようとしても実体がないものだけに闘いようもないということになるわけです。

 この本は山本七平氏と阿部謹也氏の本から著者が学んだことが、「社会」と「世間」と「空気」の関係としてわかりやすく整理されていて、とても示唆に富む本だったと思います。「空気」を「世間」と結びつけるというのは、言われてみれば説得力があると思うのですが、ほかでは聞いたことはなかったような気がします。
 鴻上尚史氏の演劇は見たことがないのでよく知らないのですが、こうした本を書くというのは「世間」とか「空気」といったものに息苦しさを感じているからなのでしょう。僕自身も最近読んだ『コンビニ人間』とか『怒り』などに「世間」というものの息苦しさを感じて、この本を手にとりました。
 では、そうした息苦しさに対する対処法ですが、たとえば『「空気」の研究』では「空気」の支配に対しては、「水を差す」ということによる抵抗が示されています。また『「空気」と「世間」』においても、「裸の王様」の話を題材に対処法が示されてはいます。しかし、どちらも「空気」とか「世間」に対しての万全たる対処法とは言えないようです。日本を覆う息苦しさはそう簡単に雲散霧消するようなものではないようです。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))


「世間」とは何か (講談社現代新書)


宇野常寛 『日本文化の論点』 AKBは日本の救世主?

2013.07.29 19:54|社会批評
 著者の宇野常寛氏はサブ・カルチャー評論家として活躍している人物ですが、この本は現代日本文化について論じたものです。
 宇野氏の『ゼロ年代の想像力』では、膨大な量の小説・映画・テレビドラマ・音楽などを読み解くことで、ゼロ年代を生きる若者の生き方を考察したものでした。それによれば『エヴァンゲリオン』に象徴されるような「引きこもり」の生き方ではもうやってはいけず、ゼロ年代は『DEATH NOTE』『バトル・ロワイヤル』などのような「決断主義」でなければ生き残ることができないのだとか。取り上げる題材の幅広さには圧倒されますし、若者論として示唆に富んだ本だったと思います。

日本文化の論点 (ちくま新書)


 『日本文化の論点』では、バブル崩壊以降ほとんど機能しなくなった戦後日本の社会システムを乗り越えるヒントについて考察していきます。著者はそれを<夜の世界>という言葉で示しています。これは政治や経済といった<昼の世界>に対し、社会的に陽の目を浴びることのない世界であり、つまりは日本のサブ・カルチャーやインターネット環境なのだと言います。そんな<夜の世界>にこそ閉塞状況にある日本を変革する可能性があると言うのです(具体的にはよくわかりませんでしたが)。

 音楽消費が頭打ちになって久しいですが、宇野氏はインターネットなどの情報化社会がそれを後押ししていると見ています。ネット上ではそうしたコンテンツ自体はいくらでも見付かるので、情報そのものの価値はほとんどありません。また、そうした情報化は音楽コンテンツを「受け取る」だけの快楽から、消費者の側がたとえば2次創作という形で「参加する」快楽を付与するのです。宇野氏はそんなコミュニケーション様式に可能性を見い出しています。マンガもそのコンテンツだけを輸出するのではなく、マンガの消費のされ方としてのコミュニケーション様式を同時にパッケージしろと言います。このあたりはなかなおもしろいのですが、「日本文化最大の論点」として第6章でやや唐突に取り上げられるのは、アイドルグループのAKB48です。ちょっと驚かされます。宇野氏はAKB48から日本社会を論じるのです(冗談というわけでもないようです)。

 宇野氏のサブ・カルチャー批評は、映画や小説などの物語内容を取り出してきて、それから社会のあり方を論じるものです。僕は映画をよく観ますが、宇野氏の映画に関する文章は、映画批評とは異なるものとして読んでいます。それはあくまで映画をネタにした社会批評だと思うからです。映画そのものを評価の対象とするならば、常識的には、お子様向けの『仮面ライダー』シリーズなどはそうした俎上に載るものではないからです。きわめてまっとうな映画評論家である森直人氏は『仮面ライダー』シリーズを高く評価する宇野氏に対し、あくまで控えめながら、映画というジャンルの評論家としては、それに賛意を表することはできない旨のことを対談で語っていました。
 宇野氏のAKBに対する愛情は感じるのですが、この本をAKBファンの人が読んだとしても楽しめる内容とは思えません。一方で日本文化論として手に取った僕のような人にとっても、同様に混乱するような気がします。サブ・カルチャーは社会のあり方を反映することも多いでしょうが、そうでない場合もあるし、それを無理に日本文化論に結びつける必要性もないと思うのですが……。