斎藤環 『承認をめぐる病』 キャラとしての承認とは?
2014.05.24 13:45|精神医学|
精神科医でもある斎藤環の論文集。映画雑誌での連載やアニメに関する言及などもある著者ですが、この『承認をめぐる病』は精神医学関係の論文も含む内容になっています。
「キャラ疲れ」に関する記事が朝日新聞に掲載され、世間一般でも知られるようになってきているようです。キャラクターとは、学校のクラス内などで自然発生的にそれぞれに与えられる役割のようなもの。「いじられキャラ」とか「毒舌キャラ」とか「天然キャラ」などがあり、一度決定されたキャラは個人の意志で変更することは難しく、自らのキャラにそぐわない行動はいじめの対象になるくらいに命取りなのだとか。こうした話は若者文化について書かれたものですが、日本によくある「空気」というやっかいな代物との関係を感じさせるものがあります。
著者によれば、キャラは「コミュニケーションの円滑化」に役立ちます。ある程度狭い範囲内でそれぞれのキャラが把握されていれば、そのなかでの振舞いは自然と決まってくるからです(著者はそれを「毛づくろい的コミュニケーション」と呼んでいます)。キャラは一方でコミュニケーション力によってカースト化される側面もあり、一度「いじめられキャラ」などになれば抜け出すのは困難です。著者によれば、若者たちはこうした「キャラとしての承認」というものに縛られているのだとか。
たとえばアニメ『エヴァンゲリオン』も承認をめぐる物語と考えられることができます。このアニメでは3人の子どもたちが登場しますが、これはそれぞれ承認というものに適応する様々なタイプとなっています。シンジは「承認されたい」「でも承認されっこない」「承認されないならみんな爆発しろ」「でもやっぱり承認されたい」という堂々めぐりをするタイプであり、「承認への葛藤」を示します。アスカは「承認への行動化」というタイプであり、レイは「承認への無関心」を示すタイプとなります。たしかにアニメを観ている人にはわかりやすい類型化となっていると思います。
表紙のポップな感じから比べると、中身はなかなか難解な部分もあります。上記は冒頭の2つの論文からの要約で比較的身近でわかりやすいですが、精神医学関係の本に寄稿した文章も多いため、専門的な内容も含むためです。たとえば「すべてが「うつ」になる――「操作主義」のボトルネック」という文章では、精神医療の歴史を柄谷行人『世界史の構造』の交換様式の論議に結びつけたりしますし、「早期介入プランへの控えめな概念」では統合失調症の早期介入に対して批判を加えています。このあたりの論議は精神的な病ではない(と思っている)人や精神医学業界と無縁の人にはとっつきにくいかもしれません。
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「キャラ疲れ」に関する記事が朝日新聞に掲載され、世間一般でも知られるようになってきているようです。キャラクターとは、学校のクラス内などで自然発生的にそれぞれに与えられる役割のようなもの。「いじられキャラ」とか「毒舌キャラ」とか「天然キャラ」などがあり、一度決定されたキャラは個人の意志で変更することは難しく、自らのキャラにそぐわない行動はいじめの対象になるくらいに命取りなのだとか。こうした話は若者文化について書かれたものですが、日本によくある「空気」というやっかいな代物との関係を感じさせるものがあります。
著者によれば、キャラは「コミュニケーションの円滑化」に役立ちます。ある程度狭い範囲内でそれぞれのキャラが把握されていれば、そのなかでの振舞いは自然と決まってくるからです(著者はそれを「毛づくろい的コミュニケーション」と呼んでいます)。キャラは一方でコミュニケーション力によってカースト化される側面もあり、一度「いじめられキャラ」などになれば抜け出すのは困難です。著者によれば、若者たちはこうした「キャラとしての承認」というものに縛られているのだとか。
たとえばアニメ『エヴァンゲリオン』も承認をめぐる物語と考えられることができます。このアニメでは3人の子どもたちが登場しますが、これはそれぞれ承認というものに適応する様々なタイプとなっています。シンジは「承認されたい」「でも承認されっこない」「承認されないならみんな爆発しろ」「でもやっぱり承認されたい」という堂々めぐりをするタイプであり、「承認への葛藤」を示します。アスカは「承認への行動化」というタイプであり、レイは「承認への無関心」を示すタイプとなります。たしかにアニメを観ている人にはわかりやすい類型化となっていると思います。
表紙のポップな感じから比べると、中身はなかなか難解な部分もあります。上記は冒頭の2つの論文からの要約で比較的身近でわかりやすいですが、精神医学関係の本に寄稿した文章も多いため、専門的な内容も含むためです。たとえば「すべてが「うつ」になる――「操作主義」のボトルネック」という文章では、精神医療の歴史を柄谷行人『世界史の構造』の交換様式の論議に結びつけたりしますし、「早期介入プランへの控えめな概念」では統合失調症の早期介入に対して批判を加えています。このあたりの論議は精神的な病ではない(と思っている)人や精神医学業界と無縁の人にはとっつきにくいかもしれません。

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