副島隆彦 『隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?』 新発見? 珍説?
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中国に伝わった景教というキリスト教については教科書にも書いてあるようですが、副島氏が言うのはそれとは違います。景教とは唐の時代(7世紀ごろ)に中国に入ってきたネストリウス派のキリスト教ですが、副島氏はイエスもマリアも生身の人間だったと考えるアリウス派のキリスト教が、景教より早く中国に入っていたのだと言います。
副島氏によれば、浄土宗・浄土真宗の阿弥陀信仰はキリスト教のマリア信仰ということになり、阿弥陀如来像・観音菩薩像・弥勒菩薩像はマリアの姿をかたどったものになります。大乗非仏説やキリスト教と浄土真宗が似ているという指摘だけならあちこちで目にしますが、ここまで明確に「大乗仏教にはキリスト教が流れ込んでいる」などと断言している本はほかに知りません。副島氏はその根拠をほとんど示さずに断言していきます。一応、比叡山で読まれていた経典のなかに「世尊布施論」というキリスト教の漢訳経典が存在することを示してはいますし、東京の場末のカラオケ屋であった中国人の話も登場しますが、それほど説得力があるとは思えません。
また、ここで副島氏がマリア信仰として記しているのは、なぜか聖母マリアではなくマグダラのマリアに対する信仰なのです。この本のp.261にはミケランジェロのピエタ像の写真が掲載されています。ここで十字架から降ろされたキリストを抱きかかえているのはマグダラのマリアだと断言しているのですが、その根拠はまったく書かれていません。たしかに虚心坦懐にこの像の写真を見れば、母親というよりは若い女性に見えるのですが……。

ちょっと前に公開されたキム・ギドク監督の映画『嘆きのピエタ』においても、このミケランジェロのピエタ像がモチーフになっていました。そこでは当然のように母と子の関係が物語の重要な要素になっていました。誰もがピエタ像を聖母子像だと捉えていると思いますし、「ピエタ」とは「慈悲」のことですから、この女性がイエスの妻だったともされるマグダラのマリアでは、ピエタ像の意味そのものも変わってきてしまうでしょう。
誰も疑わないことにも臆することなく疑問を呈するのが副島氏の信念のようです。この本には「まだ調べてないからわからない」と正直に告白している箇所もあります。だからこの件に関しては調べているのだと思います。また何度も「私はこんなふうに断言する」と言い放っていますし、当然、副島氏は自説を本気で信じているようです。それならば、やはり根拠を示してそう信じる理由を明らかにしてほしいものです。物語としてはなかなかおもしろいのですが……。