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副島隆彦 『隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?』 新発見? 珍説?

2013.09.30 23:42|宗教
 著者の副島隆彦氏は政治・経済分野で評論家として活躍している人物ですが、日本トンデモ本大賞(『人類の月面着陸は無かったろう論』)も受賞しているという方でもあります。僕自身はあまり政治・経済分野には詳しくないのでわかりませんが、副島氏のその分野での情報分析力には定評があるようです。アメリカの金融崩壊を予言的中させたなどとも言われているようですし、かなり熱心な読者も多いようです。

隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?


 副島氏がこの『隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?』で主張していることは、日本に伝来している大乗仏教はキリスト教の影響を受けたものであるということです。紀元後2世紀頃ガンダーラあたりで仏教にキリスト教が流れ込み、それが中国を経由して日本に入ってきたのだとしています。
 中国に伝わった景教というキリスト教については教科書にも書いてあるようですが、副島氏が言うのはそれとは違います。景教とは唐の時代(7世紀ごろ)に中国に入ってきたネストリウス派のキリスト教ですが、副島氏はイエスもマリアも生身の人間だったと考えるアリウス派のキリスト教が、景教より早く中国に入っていたのだと言います。
 副島氏によれば、浄土宗・浄土真宗の阿弥陀信仰はキリスト教のマリア信仰ということになり、阿弥陀如来像・観音菩薩像・弥勒菩薩像はマリアの姿をかたどったものになります。大乗非仏説やキリスト教と浄土真宗が似ているという指摘だけならあちこちで目にしますが、ここまで明確に「大乗仏教にはキリスト教が流れ込んでいる」などと断言している本はほかに知りません。副島氏はその根拠をほとんど示さずに断言していきます。一応、比叡山で読まれていた経典のなかに「世尊布施論」というキリスト教の漢訳経典が存在することを示してはいますし、東京の場末のカラオケ屋であった中国人の話も登場しますが、それほど説得力があるとは思えません。
 また、ここで副島氏がマリア信仰として記しているのは、なぜか聖母マリアではなくマグダラのマリアに対する信仰なのです。この本のp.261にはミケランジェロのピエタ像の写真が掲載されています。ここで十字架から降ろされたキリストを抱きかかえているのはマグダラのマリアだと断言しているのですが、その根拠はまったく書かれていません。たしかに虚心坦懐にこの像の写真を見れば、母親というよりは若い女性に見えるのですが……。

ミケランジェロのピエタ像 たしかにマリアの表情に幼さが残るような

 ちょっと前に公開されたキム・ギドク監督の映画『嘆きのピエタ』においても、このミケランジェロのピエタ像がモチーフになっていました。そこでは当然のように母と子の関係が物語の重要な要素になっていました。誰もがピエタ像を聖母子像だと捉えていると思いますし、「ピエタ」とは「慈悲」のことですから、この女性がイエスの妻だったともされるマグダラのマリアでは、ピエタ像の意味そのものも変わってきてしまうでしょう。
 誰も疑わないことにも臆することなく疑問を呈するのが副島氏の信念のようです。この本には「まだ調べてないからわからない」と正直に告白している箇所もあります。だからこの件に関しては調べているのだと思います。また何度も「私はこんなふうに断言する」と言い放っていますし、当然、副島氏は自説を本気で信じているようです。それならば、やはり根拠を示してそう信じる理由を明らかにしてほしいものです。物語としてはなかなかおもしろいのですが……。
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山我哲雄 『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』 旧約聖書の勉強に

2013.09.30 17:34|宗教
 著者の山我哲雄(やまが てつお)氏は1951年生まれの聖書学者だそうです。宗教関係の本を多く記している山折哲雄(やまおり てつお)氏と勘違いして手にしたのですが、まったく関係ないようです。字面がよく似ているし、ジャンルも関連しているもので……。

一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか (筑摩選書)


 この本は「一神教の起源」について迫ったものですが、著者は聖書学者ということで、旧約聖書に細かく当たりながら一神教というものが生まれるときを探っていきます。
 山我氏はまず一神教を5つに分類します。

(1) 拝一神教 例:浄土教
(2) 単一神教 例:神々の賛歌『ヴェーダ』
(3) 包括的一神教 例:マルドゥク神
(4) 排他的一神教 例:ユダヤ教、キリスト教など
(5) 哲学的唯一神思想 例:新プラトン学派


 この分類で重要なのは、(1)の拝一神教と(4)の排他的一神教の違いです。拝一神教とは「必ずしも他の神々の存在自体は否定せず、むしろその存在を前提にするが、特定の一神だけを排他的な崇拝対象とし、他の神々を崇拝しない宗教のあり方」(p.29)であり、排他的一神教とは「ある特定の一神を唯一絶対の神と見なし、他の神々の存在そのものを原理的に否定する信仰」(p.32)です。
 山我氏の明らかにしようとするのは(4)の排他的一神教が「それ以前はどうだったのか、このような唯一神の観念が最初に現れたのはいつであるのか、そしてその背景は何であったのか」(p.33)ということです。
 山我氏は学者らしい厳密さと、最新の聖書研究の成果をもって、よくある俗説なども検討しています。たとえば「一神教は砂漠の産物」だとか、「ユダヤ教がエジプトのアテン一神教改革の影響を受けた」などという説は慎重に退けられます。

第1章 一神教とは何か
第2章 「イスラエル」という民
第3章 ヤハウェという神
第4章 初期イスラエルにおける一神教
第5章 預言者たちと一神教
第6章 申命記と一神教
第7章 王国滅亡、バビロン捕囚と一神教
第8章 「第二イザヤ」と唯一神観の誕生


 ユダヤ教の神は「ヤハウェ」と呼ばれますが、それはもともと古代イスラエルで「エル」と呼ばれていた神が、エジプトを逃げ出してきた集団により伝えられた「ヤハウェ」という「出エジプトの神(嵐の神)」と習合して、創造神としての性格を獲得したようです。しかし、この段階では「拝一神教」です。「初期イスラエルでは、他の民族がそれぞれの神を持つこと自体はむしろ当然視されていたが、イスラエル人がそれらの他の民族の神々を崇拝することは厳しく禁じられていた。」(p.164)
 山我氏は様々な預言者(エリヤ、エリシャ、アモス、ホセア、イザヤ、エゼキエル、エレミヤ)たちの言葉と、申命記における後代の加筆編集などを丹念に追っていきます。そして旧約聖書において「排他的一神教」的な神観が集中的に見られるのは、第二イザヤと呼ばれる預言者にあるとしています。
 このころイスラエル王国はすでに滅び、ユダ王国のユダヤ人たちはバビロン捕囚と言われる苦難の状態にありました。「ヤハウェ」の神に従ってきたユダヤ人たちは絶望し、ともすれば信仰を失いかけていました。そんななかで第二イザヤは他の神に比べて「ヤハウェ」の無比性を強調するような「拝一神教」的な神観ではない、革命的な神観を打ち出します。「どの神がより卓越しているか、無比であるかが問題なのではない。そもそも、ヤハウェ以外に神は存在しない、というのである。」(p.354)山我氏はそれを「おそらく明確な形ではそれまで誰も考えたことのない、考え方の枠組み(パラダイム)そのものの転換であった。」(p.354)と評価しています。
 第二イザヤが活躍したのは今から2500年ほど前のことです。今では一神教の信者(キリスト教徒が約22億人、イスラム教徒が約16億人)は、世界中の二人に一人を占めると言います。これほどの影響力を持つに至ったのは、「排他的一神教」の神観は神の普遍性に結びつくものであり、民族宗教の枠を超えて、誰でもが救われる世界宗教へと発展する可能性が開けたからのようです。

ナボコフ 『ナボコフのロシア文学講義』 トルストイの時間操作

2013.09.18 23:32|文学
 ウラジーミル・ナボコフがアメリカの大学で行った講義をまとめたもの。ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどの作品が取り上げられますが、何と言ってもトルストイ『アンナ・カレーニナ』を論じた部分に力が入っています(ナボコフの言い方では「アンナ・カレーニン」となるようですが)。

ナボコフのロシア文学講義 上 (河出文庫)


ナボコフのロシア文学講義 下 (河出文庫)


 ナボコフはトルストイを「ロシア最大の散文小説作家」としています(次がゴーゴリで、チェーホフ、ツルゲーネフと続き、ドストエフスキーはそれ以下のようです)。ナボコフは自ら「不滅の」と形容する『アンナ・カレーニナ』について、以下のようにまとめています。

 社会の掟は仮初であって、トルストイの関心は永遠の道徳的要請というところにあった。ここでトルストイが伝えようとする本当の教訓の要点が明らかになる。すなわち、愛がもっぱら肉体的愛であるということはあり得ない。なぜならその場合、愛は利己的であり、利己的であることによって、愛は何かを創造する代りに破壊するのだ。従って、そのような愛は罪深い。そしてこの要点を芸術的にできるだけ明瞭に示すため、トルストイは驚くべき形象の流れのなかで、二つの愛を描き分け、生き生きとしたコントラストをつけて並べてみせた。 (下巻 p.30)


 二つの愛とは肉体的愛(ヴロンスキー―アンナ)と真正のキリスト教的愛(リョーヴィン―キティ)ということになるわけです。しかし、こうした整理はナボコフにとってさほど重要ではないようで、ナボコフは作品をたくさん引用して、それにひとつずつ注釈を加えるようにして細部を読んでいきます。
 

 あたりはすっかり暗くなっていた。彼が眺めている南の空にも、もう雨雲はなかった。雨雲は反対側に群がっていた。そちらの方からはときどき稲妻がひらめき、遠雷が聞こえた。リョーヴィンは、庭の菩提樹から規則正しく落ちる雫の音に耳を傾けながら、馴染み深い三角形の星座と、そのまんなかを通っている銀河とその多くの支流を眺めていた。〔ここで一つの喜ばしい比喩が現れる。愛と洞察力に満ちた比喩である。〕稲妻がひらめくたびに、銀河ばかりか、明るい星までが見えなくなるが、稲妻が消えると、まるで狙い誤たぬ手に投げ返されでもしたように、また元の場所に現れるのだった〔この喜ばしい比喩がお分かりだろうか〕。 (下巻 p.70~71)


 〔 〕内につぶやかれているのがナボコフの注釈です。この本はロシア文学に詳しくはないアメリカの学生に向けての講義を元にしていますから引用も多く、より丁寧にナボコフとともに作品を読み返すような感覚を覚えます。

 ナボコフは二重の悪夢(アンナたちが見る同じ夢)という主題や、トルストイの比喩表現などについて詳細に説明を加えていきますが、特にトルストイの時間感覚に魅せられています。「私たちの時間感覚に正確に対応するような時間的価値を自分の作品に与えることができるという、トルストイの天賦の才能」(下巻 p.17)などと褒めちぎっています。また、ナボコフは『アンナ・カレーニナ』を知的に鑑賞するための鍵として、時間に対する配慮ということに注意を促します。たとえば第二編では、ヴロンスキーとアンナが不倫関係へと進む筋と、まだ独身のリョーヴィンと同じく独身のキティの筋が描かれます。ここではヴロンスキー―アンナ組の生活速度が早く、独身のリョーヴィンたちの生活をおいて1年以上も先に進んでしまうというのです。愚鈍な読者である僕はまったく気がつきませんでしたが、ナボコフはこうした部分に注目し「これはこの小説の構造上、非常に魅力的なところである――相手を持つ存在は相手を持たぬ存在よりも素早いのだ。」(下巻 p.116)と語っています。
 これはナボコフの文学理論がよく表れているところで、ナボコフは「作品のなかの形象の魔力と比べれば、思想など何ほどのものでもない。」(下巻 p.65)ということをくり返し述べています。ナボコフによれば「ドストエフスキーは偉大な真理の探求者であり、精神的疾患を描く天才ではあるけれども」(上巻 p.292)、ナボコフの文学理論に照らせば、思想を語ることに流れがちなドストエフスキーに対する評価は低くなるようです。

 下巻の最後に「翻訳の技術」というナボコフの翻訳論があります。次のようなプーシキンの詩の冒頭が引用されます。

I remember a wonderful moment (私はすばらしい瞬間を憶えている)


 これはロシア語で書かれたものを英語に訳したものですが、元のロシア語から他の言語に翻訳してしまうといかに陳腐な詩になってしまうかということを示しています。本当はこの詩は「ロシア人の耳にはきわめて刺激的かつ鎮静的」(下巻 p.343)らしいのですが。
 これを読むと『アンナ・カレーニナ』のすばらしい部分を、ロシア語を解しない外国人である僕などはあまり理解していないのかもしれません。一方でナボコフの評価が低い、思想に傾きがちなドストエフスキーは、翻訳を経ても伝わりやすい思想を語っているからこそ、日本を含めた諸外国にも多大な影響を与えたとも言えるのかもしれません。