『ユートピアだより』 理想の社会のあり方とは?
2013.11.24 22:14|小説|
ウィリアム・モリスは19世紀に詩人やデザイナーとして知られていた人物ですが、現在ではこの『ユートピアだより』という小説の作者として有名です。これは今年になって岩波文庫から出た新訳です(もともとは2003年の晶文社版)。翻訳者は川端康雄氏。
ウィキペディアの「ユートピア」の項目を見ると、「マルクス主義からは「空想的」と批判されたユートピア思想であるが、理想社会を描くことで現実の世界の欠点を照らす鏡としての意義を持っている」と記されています。作者のウィリアム・モリスもマルクス主義者であり、この『ユートピアだより』は革命が成就して達成されるはずのモリスの理想とする社会像が描かれていきます。
主人公は目を覚ますと22世紀のロンドンにいます。19世紀末から一気に約200年先の未来世界にタイムスリップしてしまったのです。しかし、この小説はSFのような世界観ではありません。主人公は親切なお隣さんたちに案内されて22世紀のロンドンを旅することになりますが、その世界は19世紀末よりも過去に遡ったような牧歌的な世界です。科学技術の進歩は制限され、資本主義という制度は揚棄された、マルクス主義者の考える理想社会の姿があります。
貨幣はなく、財産権もない。財産権がないから争いがない。争いがないから刑罰もない。政府も議会もなく、人々はそれぞれのコミュニティの話し合いのようなもので社会を運営していきます。また、人々はそれぞれの仕事を義務としてではなく、楽しみとして考えています。生活そのものが芸術的営為として成り立っているのです(このあたりはアーツ・アンド・クラフツ運動を主導していたモリスの理想が反映しています)。これはとても美しい世界であり、主人公もあまりに幸福に満ちていて不安に駆られるほどなのです。
もちろん『ユートピアだより』の世界は夢に過ぎないわけですが、モリスの意図としては、理想社会を描くことで現実社会のあり方に疑問を投げかけるほうにあるわけです。それにしても、理想社会のあり方がはるか昔の社会に似通ってしまうというのは皮肉な感じがします。現代の社会が便利な一方でどこかぎすぎすして住みにくい部分があるのは確かですが、そうした便利さを捨てて昔に戻るのは、革命が起きるのと同様に不可能な気がしますから。
「黄金時代」という言い方があります。かつて人間は理想郷に住んでいたという考えです。モリスが考える理想郷も過去に遡った中世にあるようで、中世に関する言及が何度か出てきます。また訳注には「モリスの講演や書簡を見ると、文明が資本主義によって徹底的に腐敗させられてしまったため、文明の真の再生の前に野蛮時代のようなものが必要であるとモリスが信じ、またその時代を期待していたことが随所にうかがわれる。」(p.425)とあります。
モリスは「野蛮時代」という言葉を肯定的に使っているらしく、こんな手紙を書いているようです。
確かにモリスが描いた世界は理想郷と言えるものなのですが、また未開状態に戻るのは到底現実的ではありませんし、恐ろしいことです(この小説のなかでも革命の過程では多くの血が流れます)。今のような世界を捨てずに、過去に戻るのでもなく、しかも理想的な社会というのを描ければいいのですが、どうもその方向性にもあまり希望が見えないような……。
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主人公は目を覚ますと22世紀のロンドンにいます。19世紀末から一気に約200年先の未来世界にタイムスリップしてしまったのです。しかし、この小説はSFのような世界観ではありません。主人公は親切なお隣さんたちに案内されて22世紀のロンドンを旅することになりますが、その世界は19世紀末よりも過去に遡ったような牧歌的な世界です。科学技術の進歩は制限され、資本主義という制度は揚棄された、マルクス主義者の考える理想社会の姿があります。
貨幣はなく、財産権もない。財産権がないから争いがない。争いがないから刑罰もない。政府も議会もなく、人々はそれぞれのコミュニティの話し合いのようなもので社会を運営していきます。また、人々はそれぞれの仕事を義務としてではなく、楽しみとして考えています。生活そのものが芸術的営為として成り立っているのです(このあたりはアーツ・アンド・クラフツ運動を主導していたモリスの理想が反映しています)。これはとても美しい世界であり、主人公もあまりに幸福に満ちていて不安に駆られるほどなのです。
もちろん『ユートピアだより』の世界は夢に過ぎないわけですが、モリスの意図としては、理想社会を描くことで現実社会のあり方に疑問を投げかけるほうにあるわけです。それにしても、理想社会のあり方がはるか昔の社会に似通ってしまうというのは皮肉な感じがします。現代の社会が便利な一方でどこかぎすぎすして住みにくい部分があるのは確かですが、そうした便利さを捨てて昔に戻るのは、革命が起きるのと同様に不可能な気がしますから。
「黄金時代」という言い方があります。かつて人間は理想郷に住んでいたという考えです。モリスが考える理想郷も過去に遡った中世にあるようで、中世に関する言及が何度か出てきます。また訳注には「モリスの講演や書簡を見ると、文明が資本主義によって徹底的に腐敗させられてしまったため、文明の真の再生の前に野蛮時代のようなものが必要であるとモリスが信じ、またその時代を期待していたことが随所にうかがわれる。」(p.425)とあります。
モリスは「野蛮時代」という言葉を肯定的に使っているらしく、こんな手紙を書いているようです。
「わたしは「文明」の未来について芥子種一粒ほどの信仰ももてません。それが滅び去る定めであることがいまやわたしにはわかるのです。いまひとたび未開状態(バーバリズム)が洪水のごとく世界に押し寄せて、本当の感情と情熱が――それがいかに未熟なものであれ――この情けない偽善に取って代わるのを想像してみるのは、なんと楽しいことでしょう」(p.426)
確かにモリスが描いた世界は理想郷と言えるものなのですが、また未開状態に戻るのは到底現実的ではありませんし、恐ろしいことです(この小説のなかでも革命の過程では多くの血が流れます)。今のような世界を捨てずに、過去に戻るのでもなく、しかも理想的な社会というのを描ければいいのですが、どうもその方向性にもあまり希望が見えないような……。
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