『動物的/人間的 1.社会性の起原』と大澤真幸の新連載
2014.01.31 23:58|社会学|
『ゆかいな仏教』で質問者役を務めていた大澤真幸氏が、<人間とは何か?>という大きな問いに迫る本です。
この本はおととしの夏に出版されたものですが、大澤氏が今年から始めた新連載が似たようなことを扱っているようなので、慌てて手に取りました。

上記は「あとがき」に記された言葉です。大澤氏は以前からそうした構想を持っていて、その端緒となるはずの本がこの『動物的/人間的 1.社会性の起原』です。この本は「現代社会学ライブラリー」というシリーズのひとつらしく、社会学者たちが中心となってつくりあげる予定の第一弾として登場したものです。この本に「1.」という番号が振られているのは、『動物的/人間的』と題するシリーズの序章になるということ。以降、「2 贈与という謎――霊長類の世界から」「3 社会としての脳――認知考古学と脳科学の教訓」「4 なぜ二種類(だけ)の他者がいるのか――性的差異の謎」が予定されています。
この本自体は序章ですから、これから大澤氏の議論を展開する前の準備段階という位置づけになっています。だからこの本だけでは、特段の結論めいたものはありません。ページ数も150ページを切るという程度ですが、内容は密度の濃いものとなっていると思います。
そして、大澤氏の本のよりよい読者ならば、「社会性の起原」という題名を見ただけで、大澤氏の師匠筋にあたる見田宗介(真木悠介)氏の『自我の起原』を思い起こすかもしれません。実際に、この本の第3章「動物の社会性」では、「生物の個体の圧倒的な利己性といくつかの例外的な利他性とを統一的に説明する理論基本的な枠組み」について、『自我の起原』から多くの助けを得ています。また、85ページの脚注には「この論考は、真木悠介の『自我の起原』への応答としての側面をもっている。」と記されています。正面切ってこんなふうに記すということで、大澤氏の並々ならぬ意欲が感じられるようです。
さて、冒頭に触れた大澤氏の新連載ですが、講談社のPR誌『本』で今年から始まったばかりです。連載タイトルは「社会性の起原」であり、『動物的/人間的 1.社会性の起原』の続きを思わせますが、特に連続性はありません。ただこの本と同様の問いを扱っています。冒頭は、20世紀で最も影響力が大きかった哲学者ジャック・デリダが最後に探求していたのが、「動物、あるいは、人間と動物のあいまいな境界」についてだったというエピソードから始まっています。『本』の新連載と、この現代社会学ライブラリーのシリーズの関係性はわかりませんが、どちらも楽しみです。
この本はおととしの夏に出版されたものですが、大澤氏が今年から始めた新連載が似たようなことを扱っているようなので、慌てて手に取りました。
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人間とは何か? 動物との関係において、人間とは何か? これは、すべての知を支配する中心的な問いである。私の考えでは、この問いを十分な深みにおいて捉えると、その探求は、必然的に、最も広い意味での社会学――動物の行動までをも視野に入れた大きな社会学――になる。(p.145)
上記は「あとがき」に記された言葉です。大澤氏は以前からそうした構想を持っていて、その端緒となるはずの本がこの『動物的/人間的 1.社会性の起原』です。この本は「現代社会学ライブラリー」というシリーズのひとつらしく、社会学者たちが中心となってつくりあげる予定の第一弾として登場したものです。この本に「1.」という番号が振られているのは、『動物的/人間的』と題するシリーズの序章になるということ。以降、「2 贈与という謎――霊長類の世界から」「3 社会としての脳――認知考古学と脳科学の教訓」「4 なぜ二種類(だけ)の他者がいるのか――性的差異の謎」が予定されています。
この本自体は序章ですから、これから大澤氏の議論を展開する前の準備段階という位置づけになっています。だからこの本だけでは、特段の結論めいたものはありません。ページ数も150ページを切るという程度ですが、内容は密度の濃いものとなっていると思います。
そして、大澤氏の本のよりよい読者ならば、「社会性の起原」という題名を見ただけで、大澤氏の師匠筋にあたる見田宗介(真木悠介)氏の『自我の起原』を思い起こすかもしれません。実際に、この本の第3章「動物の社会性」では、「生物の個体の圧倒的な利己性といくつかの例外的な利他性とを統一的に説明する理論基本的な枠組み」について、『自我の起原』から多くの助けを得ています。また、85ページの脚注には「この論考は、真木悠介の『自我の起原』への応答としての側面をもっている。」と記されています。正面切ってこんなふうに記すということで、大澤氏の並々ならぬ意欲が感じられるようです。
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