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オースター 『写字室の旅』 物語との戯れという人生

2014.02.28 19:54|小説
 『シティ・オブ・グラス』『幽霊たち』『ムーン・パレス』のポール・オースターの最新作。訳者は柴田元幸氏。

写字室の旅


 訳者の柴田氏はニューヨーク三部作について、「登場人物が「どこでもない場所」で「誰でもない人間」になっていく状況」(『幽霊たち』の「訳者あとがき」より)と解説しています。そんな状況にぴったりなのがこの本です。主人公のミスター・ブランクは昨日の記憶すら曖昧な耄碌した老人であり、そんなブランクが外すら見えないどこかの部屋で目を覚まし、物語はすべて部屋のなかだけで進みます。オースターのほかの作品にもあるような独特な抽象的な世界の雰囲気があります。
 ブランクはすでに過去の記憶を失っており、「誰でもない人間」と言えるわけですが、様々な登場人物たちとのやりとりで、初めてこの世に生を受けた人のように事態を把握していきます。もしかすると次の日には元の木阿弥になる可能性もあるわけで、日々同じことが繰り返されているのかもしれませんが……。

 ※ 以下、ネタバレも含みます。


 『写字室の旅』の登場人物たちは、オースターの過去作品に登場してきた人物です。するとブランクとはオースターの未来の姿として読むこともできます。ブランクはかつて様々な人物に指令を与えて、危険な任務へ送り出したことになっています。小説家はテーマに沿って登場人物を創造します。登場人物は作品のためにひどい目に遭ったりもしますから、作者は恨まれたりするわけで、とりあえず今はブランクを監視状態に置き状況を見守っています。
 この本では、ブランクと呼ばれる人物は、オースターの描いた登場人物たちと同じ世界に存在します。つまり、ブランク=オースターとすれば、作者が登場人物と同じ地平に存在するわけです。そして、彼らを観察してこの物語を記しているのは――「私(たち)」と名乗っていますが、その語り部もブランクによって描かれた人物となっています。ブランクによって書かれた「私(たち)」が、ブランクを監視する物語を記すという……。さらに言えば、そもそもブランクを監視している「私(たち)」をも含む、この小説『写字室の旅』を記しているのは、現実的な存在であるポール・オースターという小説家なわけです。

 この小説で描かれているのは、小説家の「物語との戯れ」そのものなのかもしれませんし、それは小説家の「人生」とも言えるのかもしれません。オースターの登場人物たちと、オースターの未来と思えるブランクとのやりとり。これはつまるところ作者と登場人物との会話です。また、ブランクが部屋のなかで行うのは、報告書の体をなした物語を読むことであり、ブランクは途中で放棄されたその物語に続きを与えようとします。現実世界からは離れた、「物語を読むこと」と「物語を書くこと」のみで、物語が創り上げられていくわけです。
 題名の「写字室」とは「一般的に、中世ヨーロッパの修道院で写本筆写者が写本を作成するために使われた部屋を指す」(ウィキペディア)とのこと。そんな場所が旅に適した場所とは思えないのですが、小説家にとっては何より豊かで創造的な場所なのかもしれません。
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大澤真幸 『思考術』 読んで考えるということ

2014.02.25 21:09|その他
 「読んで考えるということ」をその仕事の大部分としている、大澤真幸氏が自らの方法論について記した本です。

思考術 (河出ブックス)


 序章 思考技術原論
 第1章 読んで考えるということ 社会科学篇
 第2章 読んで考えるということ 文学篇
 第3章 読んで考えるということ 自然科学篇
 終章 そして、書くということ


 具体的な思考のノウハウについては序章と終章に触れられています。まずは長期の(生涯の)テーマを決め、そのテーマに資する形で中期や短期の目標を設定します。長期のテーマに関してはすぐに答えは出ません。しかし、それを先に見据えた上で、中期や短期のテーマを選び、それについては必ず答えがあるものとして前進します。答えが出ないと考えると思考は止まってしまうからです。
 同時に大澤氏はすぐに簡単な答えに飛びつかず、疑問を長く持ち続けることの重要性を説きます。とりあえず、その都度の答えを出しつつも、常に疑問を維持するということです。僕が毎月楽しみにしている大澤氏の連載「<世界史>の哲学」でも、ひとつの疑問が次の疑問を呼ぶような形で長きに渡って連載が続いています。
 また、それぞれの論文にしても、生涯のテーマに関しても、「一渡り」で見ることのできるメモをつくることが大事だとも言います。これは自分が書くべきことを整理するうえで大切です。「自分の思考が実際にたどった順序と、他者に対して説得力のある順序とは違う」(p.27)からです。だからメモにより論理の展開の順序を整理し、どのような順序で説明すれば、読者が納得するかという点を意識しながら書いていくわけです。
 また技術的には、「親指シフト」のキーボードの使用などについても書かれています。僕は「親指シフト」の存在は知っていたのですが、大澤氏曰く、ローマ字変換を必要とする通常のキーボードと異なり、直接「かな」を入力することのできる「親指シフト」は疲れにくいのだとか。ちょっと試してみたいような気もします。

 中心となる3つの章は思考術のノウハウとは違って、それぞれの分野の名著を題材にして具体的に思考を展開させていきます。社会科学篇では「時間」、文学篇では「罪」、自然科学篇では「神」がテーマとなっていますが、どの分野でも共通していることがあるようです。それは思考の「形式」ではないでしょうか。
 僕は自然科学に関してはまったく無知なので、相対性理論とか量子力学などの記述に関してはあまり理解しているとは思えないのですが、ほかの分野から推測するに思考の「形式」としては同じような展開をしているものと思われます。大澤氏が以前からテーマとしている「第三者の審級」とも関わりがあるものと思えますが、ここでの共通の「形式」とは、「超越的な視点から考える」とでも要約されるもののように思えます。

<世界史>の哲学 古代篇


<世界史>の哲学 中世篇


<世界史>の哲学 東洋篇


ヴァージニア・ウルフ 『歳月』 読むことの快楽

2014.02.24 20:39|小説
 ヴァージニア・ウルフが傑作として名高い『ダロウェイ夫人』『灯台へ』『波』のあとに記した作品。僕はウルフの『ダロウェイ夫人』『灯台へ』などはとても好きで、何種類かの翻訳で読んだのですが、この作品は初めて手に取りました。
 ヴァージニア・ウルフを主人公の一人に据えた映画があります。ニコール・キッドマンがウルフ役を演じてアカデミー賞を獲得した『めぐりあう時間たち』という邦題の映画ですが、その原題は「THE HOURS」でした。ウルフの作品のなかで「時間」というものが大きなテーマになっているからでもありますが、この『歳月』(原題「The Years」)の題名が念頭にあったのだなあと今さらながら思いました。

歳月


 この作品は1880年から始まり、現代(作品が書かれた1937年あたり)までのことが書かれています。馬車が走っていた時代から、車や飛行機の時代へ。その間には戦争へ向かう時代の流れもあります。しかしウルフの作品のなかでは、それらの外の出来事はあくまで背景とも言え、そんな時代を生きる登場人物たちの内部(意識の流れ)が詳細に追われていきます。たとえばこんなふうに……

 ああ、でも、皆が皆というわけにはいかない。彼女は寝台の上で転輾反側しながら、そう思った。逆に、うかび上がって来る思いもある。もう決して子供でないのだ、と彼女は青い笠の下の光をみつめながら思った。歳月はいろいろのものを変え、破壊し、そしてまた積み重ねていく――苦脳や煩いを重ねていく。またしてもそれが舞い戻って来る。話の断片が絶えず彼女に戻って来た、いろいろの光景が眼前に立ちかえって来た。(p.339)


 解説にも書かれていますが、内と外で分ければ、ウルフは内に内に向かう作家なわけで、その極北にあるのが『波』という作品です。登場人物の独白だけで連ねられる詩のような作品です。『歳月』は『波』よりは物語ふうな筋もあり、パジター家の人びとが歳月のなかでどうなっていくのかという興味もあるのですが、やはりそうした筋よりも登場人物の内的独白に惹かれるものがあります。
 ウルフの小説のなかの登場人物たちは、些細な事柄に人生の真理を見出して、肯定的な生を生きているように思えます。たとえば『歳月』でも、エリナという登場人物は「絶え間ない発見だったのよ、私の人生は。奇蹟だったのよ」(p.447)と語って恍惚とします。ウルフの作品には大きな事件はありませんが、あくまで内的な発見としての人生における輝ける瞬間が描かれています。
 その一方で、作者のウルフ自身は神経を病み自殺してしまったわけですが、『ダロウェイ夫人』のなかで、人生を謳歌するダロウェイ夫人と自殺するセプティマスがいるように、作者のウルフは両方の性質を持ち合わせていたのかもしれません。あるいは自殺を考えるような辛い境遇だからこそ、逆に、作品のなかでは些細な事柄に幸福の源泉を見出すような生き方を模索していたのかもしれません。
 ウルフの文章は取っつきやすくはないですが、慣れてくると、ただ読むことが快感になってくるようです。この『歳月』という作品も、途中からは終わってしまうのが惜しいような、そんな感覚を覚えました。

めぐりあう時間たち [DVD]


灯台へ (岩波文庫)


ダロウェイ夫人 (集英社文庫)