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『闇の中の男』 想像力による911のなかったアメリカ

2014.06.23 23:40|小説
 ポール・オースターの2008年の作品。翻訳は柴田元幸。訳者あとがきによれば、この本も『幻影の書』『写字室の旅』と同様に「部屋にこもった老人の話」とのこと。

闇の中の男



 闇の中で眠れずにあがいている男がいます。その家には男の娘と孫娘がいて、3人はそれぞれの事情で一人の身になっています。男は眠れぬ夜をやり過ごすために、自分に向かって物語を語り始めます。その物語のなかでは、オーエン・ブリックという男が、もうひとつのアメリカにいます。もうひとつのアメリカとは、911同時多発テロが起きなかったアメリカであり、内戦が勃発し戦争状態にあるアメリカです。
 オーエンがパラレルワールドで与えられた仕事は、戦争の原因となったオーガスト・ブリルという男を抹殺することです。ここで奇妙なのは、オーガスト・ブリルというのは、オーエンが登場する物語を生み出している男そのものだからです。『写字室の旅』でも登場人物たちと作者との対話がなされていたわけですが、『闇の中の男』では物語のなかの人物が作者を抹殺するという構造になっています。

 ※ 以下、ネタバレもあり。
 
 ただオーエンの物語はあっけなく幕を閉じます。これは単にオーエンの物語が、厳しい現実と直面しないための手段として、オーガストが自身に語り続けた物語に過ぎないからです。それはオーガストの孫娘カーチャについても同じで、ある映像を忘れるために映画のDVDをひたすら観る毎日を送っています(小津安二郎監督の『東京物語』が印象的に使われています)。
 カーチャはタイタスという彼がいましたが、彼は仕事のためにイラクに行き、過激派に捕まって処刑されてしまいます。カーチャはそのタイタスの処刑の場面を目撃することになります。オーガストが眠れなかったのも、このことが原因とひとつです。カーチャはタイタスの死を自分のためと曲解し、その死の映像を忘れるために映画という虚構の世界に逃げ込むわけです。
 それでもオーエンの物語が終わったころ、カーチャも現実に直面する余裕ができたのか、オーガストと闇の中で話をすることになります。カーチャがタイタスの死と向き合うのと同じように、オーガストはオーエンの物語を終えて妻ソーニャの死と向かい合うことになります。それぞれの事情で闇の中にいるふたりのささやかな交流は、「このけったいな世界が転がっていくなか」では希望を感じさせるものでした。
 
 さて、次に、この小説中の約半分を占めるオーエンの物語についてです。作者のポール・オースターは、現実と想像が等価だと何度も記しています。

これが私の戦争だった。本物の戦争ではないかもしれない。でも、ひとたびこういう規模の暴力を目撃してしまえば、もっとひどい事態を想像することも難しくなくなる。ひとたびでもそうできるようになってしまえば、想像力の生む最悪の可能性こそ、まさに自分が住んでいる国だということがわかる。何であれ、頭に思い描ければ、いつかはそれが現実になるのだ。(p.101)

現実と想像はひとつだ。思考は現実である、非現実の物たちをめぐる思考ですら現実である。(p.219)


 こうした考えは、ひとりの独裁者の妄想から戦争が始まったりすることを示唆しているのかもしれません。しかしオーエンの物語で殺されようとしているのは、独裁者ではありません。抹殺の対象は、物語を語る本人だというのはやはり奇妙なことに思えます(もちろんその物語が現実逃避のための手段に過ぎないのだとしても)。
 この本のなかで非難の対象となっているのは、911を引き起こすようなアメリカを生み出し、さらにイラク戦争まで始めてしまったブッシュ政権であるようです。何もブッシュのひとりよがりな想像だけで世界が変るとは思えません。しかしブッシュ政権を選んでしまったのは、アメリカ国民です(選挙での不正もあったようですが)。もしかすると想像力をきちんと働かせていれば、ブッシュ政権によってどんな事態が生じるのか推測できたのかも。そして推測できれば、それを阻止する方法も想像できたのかも。作者のオースターはそんなことを考えたのかもしれません。想像力を糧とする小説家が、自分をモデルにした登場人物を殺させるようなことを書いているのは、ブッシュたちの想像力を抑えることのできなかった小説家やほかのアメリカ国民の想像力に対し、忸怩たる思いを抱いていたからかもしれません。
 訳者あとがきには「二〇一四年の日本にもそのまま当てはまりそうな……と言いたい誘惑に駆られる」と記されています。あとがきが記されたのは4月のようですが、つい最近では物騒な法案が議論されていたりするようですから、ますます他人事ではないという気もします。
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