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『甘美なる作戦』 作家をスパイする女と、スパイ女を描く作家

2014.10.31 23:15|小説
 イアン・マーキュアンの最新作。原題の『Sweet Tooth』は、「甘党」という意味。翻訳は村松潔

甘美なる作戦 (新潮クレスト・ブックス)



 時代は70年代、当時は冷戦の真っ只中。最初に40年前のその頃を振り返るようにして、自身の過去を語り出す主人公セリーナ・フルームの姿があります。なぜ今になってそんな時代が語られなければならないかは最後にわかります。
 「結婚してください」で終わる小説が好きなセリーナは、紆余曲折あってイギリス内務省保安局(MI5)に勤務することになるわけですが、彼女は国家のために秘密の任務を担うことになります。
 スパイものというと敵地に乗り込んでいくような007的活劇を思い浮かべてしまいますが、実際にはそんなものばかりではなく情報戦が主になります。 現実にCIAはイギリスの雑誌に資金提供していたり、イギリス外務省情報局はジョージ・オーウェル『動物農場』『1984』を広めるために翻訳権を買い取ったりしていたとのこと。敵側=共産主義の悲惨さが明らかになることで、資本主義の側が優位になるという目論見だったのだと思います。
 この物語でも、MI5の命を受けたセリーナは、トーマス・ヘイリーという作家に資金を提供することになります。共産主義批判の文章を注文したり強制するのではなく、反共的と推測される作家に自由に書く時間を与えることで、その作家自身も知らないうちに間接的に支援するのです。セリーナはヘイリーと会い、彼と恋に落ちることになりますが、自分の素性を決して話すことはできないために苦しむことになります。

 ※ 以下、ネタバレもありますのでご注意ください。


 セリーナは、ヘイリーがMI5の望む作家であるか研究するために、彼の小説を読み込んでいきます。ヘイリー作の短編小説がいくつも登場することになるわけですが、それがバラエティに富んでいておもしろい(ちなみにこの短編には作者のマキューアン自身の習作なども含まれているとのこと)。
 マネキンに恋する男の話や、言葉をしゃべるサルの話、確率論に関しての議論(モンティ・ホール問題)を取り入れた話など様々です。それからいくつかの手紙も登場します。そして、最後に読まれることになる手紙でこの小説のトリックが明かされることになります。
 これまでセリーナの半生として語られてきたこの物語は、実はヘイリーがすべてを調べ上げて書いた小説だったということです。つまり『甘美なる作戦』自体が、ヘンリーが書いたセリーナへの手紙というわけです。
 ヘイリーはこの小説をセリーナに成りきるようにして書いています。読者はそれまでセリーナが観察するヘイリーという視点でこの小説を読んでいきますが、最後に視点の転換が生じるわけです。
 ヘイリーがセリーナに成りきって書かれたものだから、両者の視点はもう分けることはできないものなのかもしれません。しかしそれでいて、それぞれの視点に基づくものも描かれていきます。国家に尽くすスパイの視点と、よりリベラル作家としての視点。数学的な思考からの視点と、詩的な思考からの視点。女の視点と、男の視点。それから小説の好みの違いもあります。小説のトリックを信用しない女と、トリックがなければ小説は書けないと考える男。そしてこの小説もそうしたトリックでもって描かれています。
 セリーナのスパイ行為は世間に暴かれ、ヘイリーとの仲は引き裂かれることになるわけですが、この小説が40年の月日を経た今になって出版されたということは、冷戦が終わったということでもありますが、ふたりの関係は嘘に塗り込められたものではなかったということなのでしょう。
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『詩という仕事について』 ボルヘスの言葉を手元に

2014.10.26 00:59|エッセイ
 『ボルヘス、文学を語る――詩的なるものをめぐって』(2002年)という本の文庫化されたもので、『詩という仕事について』という書名で2011年に登場したものです(訳者は鼓直)。僕は以前『ボルヘス、文学を語る』を近くの図書館で見付けて読んでいたのですが、何となく読み返したくなって文庫版を買いました。

詩という仕事について (岩波文庫)



 この本はボルヘスの「詩」についての講義をまとめたものです。僕はとりわけ「詩」というものを意識して読むような習慣はないのですが、博識のボルヘスが選び出した「詩」や、「詩」についての分析を読むのは楽しいものです。僕は以前にこの本を読んだときには、ノートにメモを取っていたのですが、それはこの本には抜き書きしておきたいような部分が色々あったからだと思います。
 それは「詩」についてのものばかりではなく、文学一般についてのボルヘスの整理だったり、ふともらしてしまった雑多な感想でもあります。また時にはボルヘスという作家を理解するために役立つと思われる箇所であったりもします。『永遠の歴史』もそうですが、ボルヘスの本は僕にとっては手元に置いて何度も読み返したい本なのです。以下に色々とりとめもなく抜粋してみました。

 小説と叙事詩のことを考えれば、主要な相違は韻文と散文のそれである、何かを歌うということと何かを語ることということの差異であると、つい思いたくなります。しかし、より大きな相違が存在するようです。その相違は、叙事詩において大切なのは英雄、あらゆる人間にとって典型である人間であるという事実にあります。一方、メンケンが指摘したように、小説の多くの本質は人間の崩壊、人物の堕落になるのです。(p.71‐72)


 逐語訳はどのように始まったのでしょうか? 学問的研究から生まれたとは、私は考えません。細心さから生じたとも考えません。それは神学に由来するのだと信じます。(…略…)聖書は、聖霊によって書かれたと考えられたからです。(p.102)


 ウォルター・ペイターが書いています。あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる、と。(もちろん、門外漢としての意見ですけれども)理由は明らかです。それは、音楽においては形式と内容が分けられないということでしょう。メロディー、あるいは何らかの音楽的要素は、音と休止から成り立っていて、時間のなかで展開する構造です。私の意見では、分割不可能な一個の構造です。メロディーは構造であり、同時に、それが生まれてきた感情と、それ自身が目覚めさせる感情であります。(p.111)


 私の考えでは、知恵は愛より大切なものであり、愛は幸福より大事なものです。幸福には何となく軽々しいものがあります。(p.118)


 私はこれまでに幾度となく、意味は詩にとってお添えものではないかと考えました。意味なるものを考える前居に、われわれは詩篇の美しさを感じるのだと固く信じています。(p.119)


 私は自分を、本質的に読者であると考えています。皆さんもご存知のとおり、私は無謀にも物を書くようになりました。しかし、自分が読んだものの方が自分で書いたものよりも遥かに重要であると信じています。人は、読みたいと思うものを読めるけれども、望むものを書けるわけではなく、書けるものしか書けないからです。(p.141‐142)


 私は作品を書くとき、読者のことは考えません(読者は架空の存在だからです)。また、私自身のことも考えません(恐らく、私もまた架空の存在であるのでしょう)。私が考えるのは何を伝えようとしているかであり、それを損なわないよう最善を尽くすわけです。(p.166)

『女ごころ』 拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない

2014.10.16 20:30|小説
 サマセット・モーム作の中篇。サマセット・モームは昔は教科書にも使われていたらしく、この本もロングセラーだったようです。久しく絶版になっていたものの新訳(訳者は尾崎寔)。
 サマセット・モームは通俗的だという評判もあるようですが、ストーリーテリングが巧みだからこそ今でも読まれているわけで、この作品も読み始めればあっという間。とにかくおもしろいのです。あとがきも含めて200ページくらいの分量だし、気軽に読めると思います。

女ごころ (ちくま文庫)



 美貌の未亡人メアリーは、フィレンツェにある山荘に滞在中、父親の友人であったエドガーからプロポーズを受けます。メアリーは特段結婚を望んでいるわけではないのですが、前夫のひどい最期を看取ったあとで、エドガーの地位と彼が与えるはず安定には惹かれるものがないとも言えないのです。
 エドガーは高級官僚で、近々インド・ベンガルで総督に近い地位に就くことが予想される人物です。歳は離れていますが幼いころからのメアリーを知っている友人でもあり、エドガーからの愛も感じています。実は同じころ、メアリーはロウリーという別の男からもプロポーズをされます。ロウリーは怠け者の浪費家で女たらしという、世間の評判はよくない人物。それでいて実は頼りがいのあるところもあるということが判明して……。

 ※ 以下、ネタバレもあります。

 なぜか表紙には拳銃のイラストが載っていて、その拳銃が物語のなかで何らかの事件を引き起こすことは予告されているようなものです。「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」というチェーホフの言葉が、村上春樹『1Q84』でも引用されていましたが、この『女ごころ』でも拳銃は発射されることになるわけで、物語はふたりの男の間で揺れる女ごころだけでは終わりません。
 銃が発射されるということは(必ずというわけではないけれど)死体が生まれるわけで、それをどうするかといったサスペンス的な要素もあります。映画化されてもおもしろそうだと思っていたら、すでに実現しているようです。

 サマセット・モーム原作の映画化といえば、ルイス・マイルストン監督の『雨』(短編「雨」が原作)が有名です。『雨』は名作として知られていて、淀川長治さんの解説付きのDVDも発売されています。『雨』がとても素晴らしい作品だったので、『女ごころ』の映画版も小説読了後に観てみました。
 映画版は『真夜中の銃声』という題名で、メアリーにクリスティン・スコット・トーマス、ロウリーにショーン・ペンという配役です。ロウリー役にショーン・ペンは二枚目すぎると思いますが、フィレンツェを舞台にしたロマンチックな仕上がりの映画になっています。ただその分モームの辛辣さは薄まっているという気がします。原作はもっとシニカルでひどく現実的な男と女の駆け引きの部分が良かったのですが……。

真夜中の銃声 [レンタル落ち] [DVD]



雨《IVC BEST SELECTION》 [DVD]