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『詩という仕事について』 ボルヘスの言葉を手元に

2014.10.26 00:59|エッセイ
 『ボルヘス、文学を語る――詩的なるものをめぐって』(2002年)という本の文庫化されたもので、『詩という仕事について』という書名で2011年に登場したものです(訳者は鼓直)。僕は以前『ボルヘス、文学を語る』を近くの図書館で見付けて読んでいたのですが、何となく読み返したくなって文庫版を買いました。

詩という仕事について (岩波文庫)



 この本はボルヘスの「詩」についての講義をまとめたものです。僕はとりわけ「詩」というものを意識して読むような習慣はないのですが、博識のボルヘスが選び出した「詩」や、「詩」についての分析を読むのは楽しいものです。僕は以前にこの本を読んだときには、ノートにメモを取っていたのですが、それはこの本には抜き書きしておきたいような部分が色々あったからだと思います。
 それは「詩」についてのものばかりではなく、文学一般についてのボルヘスの整理だったり、ふともらしてしまった雑多な感想でもあります。また時にはボルヘスという作家を理解するために役立つと思われる箇所であったりもします。『永遠の歴史』もそうですが、ボルヘスの本は僕にとっては手元に置いて何度も読み返したい本なのです。以下に色々とりとめもなく抜粋してみました。

 小説と叙事詩のことを考えれば、主要な相違は韻文と散文のそれである、何かを歌うということと何かを語ることということの差異であると、つい思いたくなります。しかし、より大きな相違が存在するようです。その相違は、叙事詩において大切なのは英雄、あらゆる人間にとって典型である人間であるという事実にあります。一方、メンケンが指摘したように、小説の多くの本質は人間の崩壊、人物の堕落になるのです。(p.71‐72)


 逐語訳はどのように始まったのでしょうか? 学問的研究から生まれたとは、私は考えません。細心さから生じたとも考えません。それは神学に由来するのだと信じます。(…略…)聖書は、聖霊によって書かれたと考えられたからです。(p.102)


 ウォルター・ペイターが書いています。あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる、と。(もちろん、門外漢としての意見ですけれども)理由は明らかです。それは、音楽においては形式と内容が分けられないということでしょう。メロディー、あるいは何らかの音楽的要素は、音と休止から成り立っていて、時間のなかで展開する構造です。私の意見では、分割不可能な一個の構造です。メロディーは構造であり、同時に、それが生まれてきた感情と、それ自身が目覚めさせる感情であります。(p.111)


 私の考えでは、知恵は愛より大切なものであり、愛は幸福より大事なものです。幸福には何となく軽々しいものがあります。(p.118)


 私はこれまでに幾度となく、意味は詩にとってお添えものではないかと考えました。意味なるものを考える前居に、われわれは詩篇の美しさを感じるのだと固く信じています。(p.119)


 私は自分を、本質的に読者であると考えています。皆さんもご存知のとおり、私は無謀にも物を書くようになりました。しかし、自分が読んだものの方が自分で書いたものよりも遥かに重要であると信じています。人は、読みたいと思うものを読めるけれども、望むものを書けるわけではなく、書けるものしか書けないからです。(p.141‐142)


 私は作品を書くとき、読者のことは考えません(読者は架空の存在だからです)。また、私自身のことも考えません(恐らく、私もまた架空の存在であるのでしょう)。私が考えるのは何を伝えようとしているかであり、それを損なわないよう最善を尽くすわけです。(p.166)

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