『すべて真夜中の恋人たち』 ほんやりして生きることは是か非か
2014.12.09 21:22|小説|
『乳と卵』『ヘブン』などの川上未映子の長編。今月になって文庫化されました。

初老の男性と主人公の女性の恋が描かれるため、途中まで何となく『センセイの鞄』(こちらは川上弘美)を思い出していました。ただ『センセイの鞄』は純粋に恋愛小説だった気もしますが、『すべて真夜中の恋人たち』はちょっと違うようです。
小説の主人公のすべてに目的が設定されているわけではないですが、この小説の冬子は30代半ばのフリーの校閲者で孤独に作業をこなすばかりで、この小説で主人公がどこへ向かおうとしているのかよくわかりません。ただ現実の人生においても、その方向性がはっきりしている人ばかりではないわけで、もしかすると大多数の人は生まれてしまったから闇雲に生きているのかもしれません。作者の川上未映子は、そんなサイレントマジョリティである「美しくもなく強くもない」女性を描こうとしたと言います。
※ 以下、ネタバレもありますのでご注意を。
冬子は「ほんやりして生きてる」存在です。この小説のなかで、冬子は2回もその言葉を投げかけられます。最初は初めてセックスを体験したときの相手(水野くん)であり、次は彼女とは正反対の聖という女友達からです。聖は自分の考えをはっきり言い、敵を作ることを厭わず、物事を自分で選び前に進んで行こうとします。聖は冬子に友達のように接しますが、同時に彼女の存在を苛立たしくも考えています。この苛立ちは、聖がまったく違う生き方をしている冬子を羨ましく思うからでもあります。
冬子は直接的に聖に憧れを抱くわけではないですが、聖の生き方に影響される部分もあるようです。孤独な日々を癒すためかアルコールに走るようになるのもそうだし、派手に男遊びをしている聖の存在が、冬子を恋愛へと向かわせたのかもしれません。
冬子はふとしたことで知り合った三束さんと喫茶店で話をするようになり、冬子にとって還暦手前の三束さんの存在は大切なものになります。そして意を決して三束さんに告白します。冬子は今まで様々なことから逃げてきたと考えています。何も選択せず、周囲に流され、何も決断しないことは楽だからです。初体験の相手水野くんにもそのことを責められます。だから冬子は告白を決断します。
おもしろいのは、この冬子の決断が彼女の成長につながるわけでもないことでしょうか。冬子の想いは成就しません。そして冬子は三束さんの居なかったころの生活に戻っていきます。
最後に冬子と聖のちょっとした対決があります。両極端のふたりがぶつかるわけですが、それは自分がなりたくてもなれない「もうひとりの自分」との闘いのようでもあります。結局は「ぼんやりして生きてる」冬子も、選択し決断して懸命に生きてる聖も同じような場所に居るのです。どちらの生き方にも差異はありません。そのことを知ってふたりは互いをさらに認め合うようになったようです。
気になるのは突然姿を消した三束さんです。三束さんがなぜ嘘をつき、冬子の告白に応じなかったのかはわかりません。三束さんは冬子と似た者同士のようにも思えましたが、男女の違いもあり、まったく同じというわけではないようです。冬子が三束さんに求めたのは、恋愛という「全人格的な承認」だったのかもしれませんが、三束さんはそれを必要としないのかもしれません。三束さんは音楽や物理など興味範囲は広く、そうしたことにかまけることで、他人からの承認など必要ない「自己完結の世界」を構築することができるからかもしれません。作者の意図はわかりませんが、男というのも厄介な存在だという気がしました。
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初老の男性と主人公の女性の恋が描かれるため、途中まで何となく『センセイの鞄』(こちらは川上弘美)を思い出していました。ただ『センセイの鞄』は純粋に恋愛小説だった気もしますが、『すべて真夜中の恋人たち』はちょっと違うようです。
小説の主人公のすべてに目的が設定されているわけではないですが、この小説の冬子は30代半ばのフリーの校閲者で孤独に作業をこなすばかりで、この小説で主人公がどこへ向かおうとしているのかよくわかりません。ただ現実の人生においても、その方向性がはっきりしている人ばかりではないわけで、もしかすると大多数の人は生まれてしまったから闇雲に生きているのかもしれません。作者の川上未映子は、そんなサイレントマジョリティである「美しくもなく強くもない」女性を描こうとしたと言います。
※ 以下、ネタバレもありますのでご注意を。
冬子は「ほんやりして生きてる」存在です。この小説のなかで、冬子は2回もその言葉を投げかけられます。最初は初めてセックスを体験したときの相手(水野くん)であり、次は彼女とは正反対の聖という女友達からです。聖は自分の考えをはっきり言い、敵を作ることを厭わず、物事を自分で選び前に進んで行こうとします。聖は冬子に友達のように接しますが、同時に彼女の存在を苛立たしくも考えています。この苛立ちは、聖がまったく違う生き方をしている冬子を羨ましく思うからでもあります。
冬子は直接的に聖に憧れを抱くわけではないですが、聖の生き方に影響される部分もあるようです。孤独な日々を癒すためかアルコールに走るようになるのもそうだし、派手に男遊びをしている聖の存在が、冬子を恋愛へと向かわせたのかもしれません。
冬子はふとしたことで知り合った三束さんと喫茶店で話をするようになり、冬子にとって還暦手前の三束さんの存在は大切なものになります。そして意を決して三束さんに告白します。冬子は今まで様々なことから逃げてきたと考えています。何も選択せず、周囲に流され、何も決断しないことは楽だからです。初体験の相手水野くんにもそのことを責められます。だから冬子は告白を決断します。
おもしろいのは、この冬子の決断が彼女の成長につながるわけでもないことでしょうか。冬子の想いは成就しません。そして冬子は三束さんの居なかったころの生活に戻っていきます。
最後に冬子と聖のちょっとした対決があります。両極端のふたりがぶつかるわけですが、それは自分がなりたくてもなれない「もうひとりの自分」との闘いのようでもあります。結局は「ぼんやりして生きてる」冬子も、選択し決断して懸命に生きてる聖も同じような場所に居るのです。どちらの生き方にも差異はありません。そのことを知ってふたりは互いをさらに認め合うようになったようです。
気になるのは突然姿を消した三束さんです。三束さんがなぜ嘘をつき、冬子の告白に応じなかったのかはわかりません。三束さんは冬子と似た者同士のようにも思えましたが、男女の違いもあり、まったく同じというわけではないようです。冬子が三束さんに求めたのは、恋愛という「全人格的な承認」だったのかもしれませんが、三束さんはそれを必要としないのかもしれません。三束さんは音楽や物理など興味範囲は広く、そうしたことにかまけることで、他人からの承認など必要ない「自己完結の世界」を構築することができるからかもしれません。作者の意図はわかりませんが、男というのも厄介な存在だという気がしました。
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