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『友達・棒になった男』 こんな友達いらない……

2015.03.22 12:12|その他
 安部公房の代表的戯曲3編『友達』『棒になった男』『榎本武揚』を収録したもの(僕が買ったのは下のものと装丁が違いますが)。

友達・棒になった男 (新潮文庫)



 某サイトの知恵袋というコーナーでは、どこかの誰かが安部公房は「共同体からの逃亡の果てに、何が起こるのか」を追求したのだと書いています。たしかに『燃えつきた地図』『砂の女』なんかはそんな感じもあります。
 安部公房の戯曲のなかでも傑作とされる『友達』では、ある日突然、ひとり暮らしの男の家に9人の家族が闖入してくるという設定となっています。この戯曲では、主人公は共同体から逃げているわけではなく、単に気軽なひとり暮しで彼女との同棲なんかを夢見ていたわけですが、突然共同体のほうが突然部屋に押し入ってくるわけです。
 闖入してくる家族たちは孤独を悪いことだと考えています。「糸がちぎれた首飾り」は糸を結びなおして首飾りを元通りにしなければならないのと同じように、孤独な迷い子となり彷徨っている都会の若者には、彼らの善意という紐帯が必要だというわけです。
 みんなが友達になれれば素晴らしいことです。友達ができれば励ましあうこともできるわけですから。しかしここでのつながりは有無を言わせない強引なものであり、主人公は当然のごとく彼らを追い払おうとしますが人数に押し切られます。彼ら家族は隣人愛の精神から助け合うことを当然だと考え、部屋の主である主人公からの反論を許しません。何を言っても多数派である家族たちの言い分が通ることとなり、主人公はそんな家族たちに巻き込まれていくことになります。
 最後にはどういう意図かはわかりませんが、主人公は殺されてしまうことになるわけでなかなか不条理な作品となっています。主人公に毒を盛る次女は「さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にしかすぎなかったのに……(p.117)」などともらします。世間の側としては逆らわない従順な友達を求めているわけで、大多数の側が少数派の誰かを知らぬ間に殺しているという状況は不条理でも何でもなくよくあることと言えるのかもしれません。
 ただこの作品がそうした「共同体と個人の関係」だけを描いたものなのかどうかはよくわかりません。そんなふうにも読むことはできますが、それではあまりに作品を矮小化しているようにも思えます。たとえば『棒になった男』という作品では、デパート屋上から降ってくる棒が擬人化したように描かれます。この作品は「飛び降り自殺をした男」のことだとかも言われるようですが、それだけではないような気もします。また、同じ『棒になった男』のなかの一景「鞄」のなかの「鞄のなかに入った先祖」というイメージも何だかよくわからないのですが、妙に気になる感じもします。
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