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『性と進化の秘密』 生物の若返りの方法?

2015.12.27 17:57|その他
 この本を手に取ったのは、大澤真幸氏の連載「社会性の起原」に一部が引用されていたからです。大澤氏は以前『動物的/人間的 1.社会性の起原』という本も取り上げましたが、この連載は大澤氏の師匠である真木悠介氏の『自我の起原』を受け継ぎつつ進行中です。
 大澤氏は師匠の真木氏のその著作から、死すべきものであるということは「性的な個であることの宿命である」という箇所を引いています。その言葉を別のレベルで言い換えたものが、この『性と進化の秘密』という本に書かれていることだと思います。
 ただ大澤氏の引用の仕方は脚注のなかに独特な見解として取り上げられていたもので、生物学の一般的な学説ではないのかもしれません。『性と進化の秘密』の著者である団まりな氏は細胞についての専門家ですが、その研究によると細胞が意思を持って行動していないと説明できないことが多々見られるようです(『細胞の意思』という本も参照)。細胞が意思を持っているというような「擬人的考え方」で書くと、科学的でないとして怒られるそうですが……。団氏は未だ実験で明らかとなっていない部分に関しても大胆な推論を示しているところも多いため、通説とは異なる見解とされているのかもしれません。

性と進化の秘密 思考する細胞たち (角川ソフィア文庫)



 細胞には2つの種類があります。原核細胞(細胞膜の内側に核もその他の構造も持たない)と真核細胞(核膜で区分された核を持ち、ミトコンドリアなどを取り込んだりした一種の共生態)です。
 さらに真核細胞はハプロイド細胞ディプロイド細胞に分類することができます。ハプロイド細胞とはDNAのセットが1セットもので、ディプロイド細胞とは2セットのもののことです。ディプロイド細胞となると細胞が協同する能力が上がり、細胞間での役割分担が可能になり、多細胞生物が生まれることになりました。われわれが目にする生物は、人間も含めてディプロイド細胞の多細胞生物ということになります。

 さて、先ほどの性があるからこそ死があるという真木氏からの引用ですが、これはどういうことでしょうか? 団まりな氏によれば、細胞が分裂して一匹が二匹になることが一番原始的な「生殖」なのだと言います。単純な構造であるハプロイド細胞の場合、分裂しながら延々と生き続けることができます。ハプロイド細胞の場合、何らかの原因で消滅することはあっても、分裂した細胞すべてが元の細胞とまったく同じコピーなわけで、その意味では不死ということになるわけです。
 しかしディプロイド細胞の場合は分裂の回数に制限があります。一定の分裂回数を超えると死んでしまうのです。この難問を解決しているのが減数分裂を利用した有性生殖ということになります。

 ディプロイド細胞はDNAが2セットになっています。これはDNAが1セットのハプロイド細胞が合わさってできたものだからです。ディプロイド細胞は分裂回数の限界を乗り越えるために、一度ハプロイド細胞に階層を下げ、始めからやり直すことで分裂回数をリセットするのです(団氏によれば階層性というのは生物において重要な要素だとか)。
 ディプロイド細胞には2種類の分裂の仕方があり、一つは体細胞分裂であり、もう一つは減数分裂と呼ばれます。この減数分裂ではディプロイド細胞のDNAのセットを2セットから1セットに戻すということが行われます。つまりこれが配偶子(精子または卵)です。有性生殖で精子と卵が受精するとDNAが2セットのディプロイド細胞の状態になるわけですが、このときには細胞分裂の回数はリセットされて細胞が若返りを果たしています。
 ハプロイド細胞のときには不死だったのに、ディプロイド細胞となりオスとメスの配偶子での有性生殖をすることになると、親の個体と子の個体はまったく同じものではなくなるわけで、その意味において性があるからこそ死があるということになるわけです。
 また、一般的には精子と卵が持ち寄ったDNAからその組み換えが起きることが重要とされますが、団氏は「減数分裂の本質は、DNAの修復、つまり細胞の若返りであってDNAの組み換えは二次的につけ加えられたものではないか」(p.101)と考えているようです。

 人間の赤ちゃんは成熟した大人の細胞から生まれます。それなりに弱っているはずの大人の細胞も、卵と精子という配偶子を経てから生まれた赤ちゃんは、たしかに古い人間から生み出されたものと思えないくらい若返りを果たしています。これは考えてみれば不思議なことなのかもしれません。
 僕は普段はあまり生物学の本などは読まないのでよく理解できていない部分もありますが、それだけに色々と知らないも多くてためになりました(ハプロイド細胞とディプロイド細胞も初めて知りました)。著者の団氏は昨年亡くなられたそうで、これからの研究で明らかにされる部分も多かっただろうと思われるのに残念なことです。

細胞の意思―“自発性の源”を見つめる (NHKブックス)


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『未成年』 命を救うのは信仰なのか法律なのか

2015.12.20 20:26|小説
 『贖罪』『甘美なる作戦』などのイアン・マーキュアンの最新作。

未成年 (新潮クレスト・ブックス)



 主人公のフィオーナは60歳を間近にした女性裁判官です。中心となるエピソードはエホバの証人の輸血拒否にかかる裁判ですが、ほかにも様々な事例が登場します。結合双生児の分離手術では、片方を生かすために、片方を死に追いやることをフィオーナは決断しなくてはなりません。ユダヤ教の両親の離婚に関する裁判では、子供が父親に引き取られれば厳格なユダヤ共同体のもとで生活することになり、母親に引き取られれば宗教的には比較的自由な環境に置かれることになります。フィオーナはその都度世俗社会で合理的と認められるような判決を出しています。
 裁判官も人間ですからごく普通の生活もあります。この小説はそうした部分も描かれています。フィオーナの旦那は「7週間と1日」もの間セックスレスだという理由を挙げて、ほかの女とのエクスタシーを求めて家を飛び出していったりもします。フィオーナはこれまでの夫婦関係について振り返ることにもなります。「7週間と1日」というのは結合双生児についての判決を出してからの日数であり、どちらかを殺す決断をしなければならないフィオーナはそうしたことに励む気分ではなかったわけで、裁判官という仕事は他人の人生を大きく左右する部分があるだけにやっかいそうです。

 ※ 以下、ネタバレもありますのでご注意ください!


 エホバの証人の輸血拒否では日本でも子供が死亡する事件があったようです。この小説のアダムという少年はあと少しで18歳になるところです。彼は白血病であり、ただちに輸血をしなければ重大な結果を招くことが予想されています。さらに舞台となるイギリスの法律では18歳以下の未成年には自己決定する能力がないものとされます。アダムの家族はエホバの証人の教えを信じていて、両親は輸血を拒みますが、病院側は輸血をすることで治療をもっと有効なものにしたいと考えます。アダム自身も表面上は輸血を拒否しているようですが、その言葉が両親からの押し付けになっているのかもしれないわけで、フィオーナはギリギリの選択を迫られることになります。子供の福祉というものを優先させるのか、信仰のほうを選ぶのか。
 フィオーナの決断は当然のものと思われます。世俗社会で何が合理的と考えられているか。それに照らせばそうならざるを得ないわけです。しかし結末は悲劇に終わります。裁判制度あるいは法律の限界なのかもしれません。フィオーナは普遍的と思われる価値を基準にして裁くわけですが、その価値が本当に普遍的なものかはあやしいわけです。結局は普遍的だと思っている価値を押し付けているということでは、アダムの両親が特定の宗教を押し付けるのと変わりがないのかもしれません。特定の宗教を信じることはその宗教を認めない人にとっては理解できない部分がありますが、合理的な考えがそっくり宗教の代わりになるわけではないことも確かなのでしょう。