『コンビニ人間』 ありのままで居られるならいいんだけど
2016.09.06 19:37|小説|
第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の作品。

主人公の古倉恵子は30代半ばの独身女性。大学時代に始めたコンビニのバイトを今も続けていて、周囲からは心配されています。恵子は子供のころからちょっと変わった子で、世間にうまく馴染むことができません。
子供のころの恵子は、死んだ小鳥を見て焼き鳥にして食べようなどと非常識なことを言ったりもします。大人になっても妹が自分の子供をあやすのを見ては、「静かにさせるだけでいいならとても簡単」なのにとケーキを切ったナイフを見ながら考えたりもします(さすがに声に出さない程度には学習したようですがとても危なっかしい)。
恵子がなぜ普通からズレてしまうなのかはわかりませんが、恵子自身も家族を悲しませることがないように「自ら動くのは一切やめ」ることにします。そんな恵子が唯一普通のフリをできる場所がコンビニです。
コンビニではすべてのことがマニュアルで決められています。客が入ってきたら「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶するとか、ごく基本的なことまで丁寧に決まっています。人間はそうしたことは自然に学んでいくものであって、誰かがいちいち教えてくれるものではありません。常識外れの恵子にとっては、すべてがマニュアル化されたコンビニだからこそ普通に振舞うことができるわけです。
個人的には恵子という主人公がアンドロイドみたいなものにも感じられました。外見は人と同じだけど、中身のプログラムがやや完璧ではないといった感じでしょうか。というのも恵子には欲望とか主体性のようなものがほとんど感じられないからです。自ら動くことを拒否したからなのかもしれませんが、恵子は積極的にこれをしたいというものがないのです。だからコンビニのパンとミネラルウォーターで日々を過ごすことにも不満はないようですし、家での食事は野菜を茹でたものを味付けもなしに食べたりもします。恵子はあまり味付けの必要性を感じないのです。
人間社会に紛れ込んだアンドロイドとしては、自分が本当は中身がないアンドロイドだとバレてしまっては困るわけで、それなりに人間らしいフリをします。ただ人間らしいということが恵子にはよくわからないわけで、そこは姉に協力的な妹に知恵を仰ぐことになります。
たとえば30代半ばの独身女性が10年以上もコンビニでバイトをしているなどということを世間は許しません。だから身体が弱いからとそれなりの理由を付けたりしなければなりません。また、バイト先の新人白羽と同棲することになるのも、外面を整えるという意味合いからで、恋愛感情ではありません。
ちなみに白羽は普通になりたいし、それを理解しているけれどうまくいかなくてスネているというタイプで、普通を理解できない恵子とはちょっと違います。とりあえず言えることは、結婚して家族を持ち子供をもうけるという既定路線から外れることはそれだけで大変な軋轢を生んでしまうのです。
世間にとっても、家族にとっても、白羽にとってもさえも、恵子には変わらなければならない何かがあって、それは病いであり治療しなければいけないものとされます。極端にデフォルメされている部分はありますが、普通から外れた人たちに対する世間の容赦ない攻撃は珍しいものではありません。
ちょっと前に「ありのままで」という歌が流行りましたが、あれはディズニー映画だからこそ言えることなのかもしれません。現実ではありのままで居られるほど世間は放っておいてはくれないもののようです。
目新しいテーマではありませんが、恵子という主人公のズレっぷりや、白羽のダメっぷりにはちょっと笑ってしまうところがありました。シビアな話でありながらキツい読後感にならないのはそんなところにあるのでしょうか。主人公同様に作者自身が未だにコンビニでバイトをしているということですが、コンビニに対する偏愛というわけのわからなさも微笑ましく感じました。ほかにもっと愛すべき場所はありそうなものですが、やはり普通の感覚ではないということでしょうか。
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主人公の古倉恵子は30代半ばの独身女性。大学時代に始めたコンビニのバイトを今も続けていて、周囲からは心配されています。恵子は子供のころからちょっと変わった子で、世間にうまく馴染むことができません。
子供のころの恵子は、死んだ小鳥を見て焼き鳥にして食べようなどと非常識なことを言ったりもします。大人になっても妹が自分の子供をあやすのを見ては、「静かにさせるだけでいいならとても簡単」なのにとケーキを切ったナイフを見ながら考えたりもします(さすがに声に出さない程度には学習したようですがとても危なっかしい)。
恵子がなぜ普通からズレてしまうなのかはわかりませんが、恵子自身も家族を悲しませることがないように「自ら動くのは一切やめ」ることにします。そんな恵子が唯一普通のフリをできる場所がコンビニです。
コンビニではすべてのことがマニュアルで決められています。客が入ってきたら「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶するとか、ごく基本的なことまで丁寧に決まっています。人間はそうしたことは自然に学んでいくものであって、誰かがいちいち教えてくれるものではありません。常識外れの恵子にとっては、すべてがマニュアル化されたコンビニだからこそ普通に振舞うことができるわけです。
個人的には恵子という主人公がアンドロイドみたいなものにも感じられました。外見は人と同じだけど、中身のプログラムがやや完璧ではないといった感じでしょうか。というのも恵子には欲望とか主体性のようなものがほとんど感じられないからです。自ら動くことを拒否したからなのかもしれませんが、恵子は積極的にこれをしたいというものがないのです。だからコンビニのパンとミネラルウォーターで日々を過ごすことにも不満はないようですし、家での食事は野菜を茹でたものを味付けもなしに食べたりもします。恵子はあまり味付けの必要性を感じないのです。
人間社会に紛れ込んだアンドロイドとしては、自分が本当は中身がないアンドロイドだとバレてしまっては困るわけで、それなりに人間らしいフリをします。ただ人間らしいということが恵子にはよくわからないわけで、そこは姉に協力的な妹に知恵を仰ぐことになります。
たとえば30代半ばの独身女性が10年以上もコンビニでバイトをしているなどということを世間は許しません。だから身体が弱いからとそれなりの理由を付けたりしなければなりません。また、バイト先の新人白羽と同棲することになるのも、外面を整えるという意味合いからで、恋愛感情ではありません。
ちなみに白羽は普通になりたいし、それを理解しているけれどうまくいかなくてスネているというタイプで、普通を理解できない恵子とはちょっと違います。とりあえず言えることは、結婚して家族を持ち子供をもうけるという既定路線から外れることはそれだけで大変な軋轢を生んでしまうのです。
世間にとっても、家族にとっても、白羽にとってもさえも、恵子には変わらなければならない何かがあって、それは病いであり治療しなければいけないものとされます。極端にデフォルメされている部分はありますが、普通から外れた人たちに対する世間の容赦ない攻撃は珍しいものではありません。
ちょっと前に「ありのままで」という歌が流行りましたが、あれはディズニー映画だからこそ言えることなのかもしれません。現実ではありのままで居られるほど世間は放っておいてはくれないもののようです。
目新しいテーマではありませんが、恵子という主人公のズレっぷりや、白羽のダメっぷりにはちょっと笑ってしまうところがありました。シビアな話でありながらキツい読後感にならないのはそんなところにあるのでしょうか。主人公同様に作者自身が未だにコンビニでバイトをしているということですが、コンビニに対する偏愛というわけのわからなさも微笑ましく感じました。ほかにもっと愛すべき場所はありそうなものですが、やはり普通の感覚ではないということでしょうか。
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