山我哲雄 『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』 旧約聖書の勉強に
2013.09.30 17:34|宗教|
著者の山我哲雄(やまが てつお)氏は1951年生まれの聖書学者だそうです。宗教関係の本を多く記している山折哲雄(やまおり てつお)氏と勘違いして手にしたのですが、まったく関係ないようです。字面がよく似ているし、ジャンルも関連しているもので……。
この本は「一神教の起源」について迫ったものですが、著者は聖書学者ということで、旧約聖書に細かく当たりながら一神教というものが生まれるときを探っていきます。
山我氏はまず一神教を5つに分類します。
この分類で重要なのは、(1)の拝一神教と(4)の排他的一神教の違いです。拝一神教とは「必ずしも他の神々の存在自体は否定せず、むしろその存在を前提にするが、特定の一神だけを排他的な崇拝対象とし、他の神々を崇拝しない宗教のあり方」(p.29)であり、排他的一神教とは「ある特定の一神を唯一絶対の神と見なし、他の神々の存在そのものを原理的に否定する信仰」(p.32)です。
山我氏の明らかにしようとするのは(4)の排他的一神教が「それ以前はどうだったのか、このような唯一神の観念が最初に現れたのはいつであるのか、そしてその背景は何であったのか」(p.33)ということです。
山我氏は学者らしい厳密さと、最新の聖書研究の成果をもって、よくある俗説なども検討しています。たとえば「一神教は砂漠の産物」だとか、「ユダヤ教がエジプトのアテン一神教改革の影響を受けた」などという説は慎重に退けられます。
ユダヤ教の神は「ヤハウェ」と呼ばれますが、それはもともと古代イスラエルで「エル」と呼ばれていた神が、エジプトを逃げ出してきた集団により伝えられた「ヤハウェ」という「出エジプトの神(嵐の神)」と習合して、創造神としての性格を獲得したようです。しかし、この段階では「拝一神教」です。「初期イスラエルでは、他の民族がそれぞれの神を持つこと自体はむしろ当然視されていたが、イスラエル人がそれらの他の民族の神々を崇拝することは厳しく禁じられていた。」(p.164)
山我氏は様々な預言者(エリヤ、エリシャ、アモス、ホセア、イザヤ、エゼキエル、エレミヤ)たちの言葉と、申命記における後代の加筆編集などを丹念に追っていきます。そして旧約聖書において「排他的一神教」的な神観が集中的に見られるのは、第二イザヤと呼ばれる預言者にあるとしています。
このころイスラエル王国はすでに滅び、ユダ王国のユダヤ人たちはバビロン捕囚と言われる苦難の状態にありました。「ヤハウェ」の神に従ってきたユダヤ人たちは絶望し、ともすれば信仰を失いかけていました。そんななかで第二イザヤは他の神に比べて「ヤハウェ」の無比性を強調するような「拝一神教」的な神観ではない、革命的な神観を打ち出します。「どの神がより卓越しているか、無比であるかが問題なのではない。そもそも、ヤハウェ以外に神は存在しない、というのである。」(p.354)山我氏はそれを「おそらく明確な形ではそれまで誰も考えたことのない、考え方の枠組み(パラダイム)そのものの転換であった。」(p.354)と評価しています。
第二イザヤが活躍したのは今から2500年ほど前のことです。今では一神教の信者(キリスト教徒が約22億人、イスラム教徒が約16億人)は、世界中の二人に一人を占めると言います。これほどの影響力を持つに至ったのは、「排他的一神教」の神観は神の普遍性に結びつくものであり、民族宗教の枠を超えて、誰でもが救われる世界宗教へと発展する可能性が開けたからのようです。
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山我氏はまず一神教を5つに分類します。
(1) 拝一神教 例:浄土教
(2) 単一神教 例:神々の賛歌『ヴェーダ』
(3) 包括的一神教 例:マルドゥク神
(4) 排他的一神教 例:ユダヤ教、キリスト教など
(5) 哲学的唯一神思想 例:新プラトン学派
この分類で重要なのは、(1)の拝一神教と(4)の排他的一神教の違いです。拝一神教とは「必ずしも他の神々の存在自体は否定せず、むしろその存在を前提にするが、特定の一神だけを排他的な崇拝対象とし、他の神々を崇拝しない宗教のあり方」(p.29)であり、排他的一神教とは「ある特定の一神を唯一絶対の神と見なし、他の神々の存在そのものを原理的に否定する信仰」(p.32)です。
山我氏の明らかにしようとするのは(4)の排他的一神教が「それ以前はどうだったのか、このような唯一神の観念が最初に現れたのはいつであるのか、そしてその背景は何であったのか」(p.33)ということです。
山我氏は学者らしい厳密さと、最新の聖書研究の成果をもって、よくある俗説なども検討しています。たとえば「一神教は砂漠の産物」だとか、「ユダヤ教がエジプトのアテン一神教改革の影響を受けた」などという説は慎重に退けられます。
第1章 一神教とは何か
第2章 「イスラエル」という民
第3章 ヤハウェという神
第4章 初期イスラエルにおける一神教
第5章 預言者たちと一神教
第6章 申命記と一神教
第7章 王国滅亡、バビロン捕囚と一神教
第8章 「第二イザヤ」と唯一神観の誕生
ユダヤ教の神は「ヤハウェ」と呼ばれますが、それはもともと古代イスラエルで「エル」と呼ばれていた神が、エジプトを逃げ出してきた集団により伝えられた「ヤハウェ」という「出エジプトの神(嵐の神)」と習合して、創造神としての性格を獲得したようです。しかし、この段階では「拝一神教」です。「初期イスラエルでは、他の民族がそれぞれの神を持つこと自体はむしろ当然視されていたが、イスラエル人がそれらの他の民族の神々を崇拝することは厳しく禁じられていた。」(p.164)
山我氏は様々な預言者(エリヤ、エリシャ、アモス、ホセア、イザヤ、エゼキエル、エレミヤ)たちの言葉と、申命記における後代の加筆編集などを丹念に追っていきます。そして旧約聖書において「排他的一神教」的な神観が集中的に見られるのは、第二イザヤと呼ばれる預言者にあるとしています。
このころイスラエル王国はすでに滅び、ユダ王国のユダヤ人たちはバビロン捕囚と言われる苦難の状態にありました。「ヤハウェ」の神に従ってきたユダヤ人たちは絶望し、ともすれば信仰を失いかけていました。そんななかで第二イザヤは他の神に比べて「ヤハウェ」の無比性を強調するような「拝一神教」的な神観ではない、革命的な神観を打ち出します。「どの神がより卓越しているか、無比であるかが問題なのではない。そもそも、ヤハウェ以外に神は存在しない、というのである。」(p.354)山我氏はそれを「おそらく明確な形ではそれまで誰も考えたことのない、考え方の枠組み(パラダイム)そのものの転換であった。」(p.354)と評価しています。
第二イザヤが活躍したのは今から2500年ほど前のことです。今では一神教の信者(キリスト教徒が約22億人、イスラム教徒が約16億人)は、世界中の二人に一人を占めると言います。これほどの影響力を持つに至ったのは、「排他的一神教」の神観は神の普遍性に結びつくものであり、民族宗教の枠を超えて、誰でもが救われる世界宗教へと発展する可能性が開けたからのようです。
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