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フィリップ・K・ディックの処女作 『市に虎声あらん』 

2013.10.28 19:32|小説
 この小説はフィリップ・K・ディックの事実上の処女作ですが、出版されたのは2007年とのこと。日本語訳はもちろん初めて。訳者の阿部重夫氏は日経新聞元記者で、現在は雑誌の編集長をしている方だとか。

市に虎声あらん


 まち虎声こせいあらん』はSFものではありません。ディックが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』など数多いSF作品を書き出す前に書かれた普通の小説です。しかし、そのなかにはディック晩年の『ヴァリス』3部作の独自の神学へと結びつくようなものが見られます。巻末に「ディックの原石――推薦の辞」という文章を寄せている山形浩生氏の言葉を引きます。

ディックはしょっぱなからディックだった。処女作にはその作家のすべてが、という陳腐なことは言いたくないが、でも本書に限ってはまさにそれがあてはまる。平凡で疎外された人生と不満、宗教を通じた現実の変容と、己自身の異形化=聖化を通じた帰還――その後のディックに見られる要素がすべて詰まっている。(p.544)


 ディックは70年代の神秘体験がひとつの転機となり、晩年の『ヴァリス』3部作などを書いたとされていたわけですが、この『市に虎声あらん』を読むと、これまでの見方を「大幅にひっくり返しかねない」(p.544)ような発見があると言えるのかもしれません。これまで転機と考えられてきた神秘体験ですが、この処女作からすでにそうした傾向はディックのなかに備わっていたように見えるのです。


※ 以下、ネタバレもあり。

 冒頭にC・ライト・ミルズ『ホワイト・カラー』の引用があります。ホライト・カラーとは、「社会からも、生産物からも、自我からも、疎外された存在、個人的には自由と合理性を剥奪され、政治的には麻痺状態にある存在――これが、みずからは意図せずに近代社会の先頭に立っているホワイト・カラーという新しいあわれな存在の姿である。」(C・ライト・ミルズ『ホワイト・カラー』序文より)となります。
 この物語は、そうしたありがちな疎外感を抱く普通の男が主人公です。モダンTVという街の電気屋に勤めるスチュアート・ハドリーの日常が描かれます。彼はモダンTVの経営者であるジム・ファーガスンからすると理解不能な若者です。すでに奥さんがいて子どもを身ごもっているという状況で、次の店長候補とされながらも仕事に身が入らないからです。ハドリーはある女性によって新興宗教の教祖と出会います。そして電気屋としての生活を捨てるような行動に出ます。
 ハドリーが何も求めてそんな行動に走るのかはよくわかりません。ジム・ファーガスンのような人間が人生の目的として掲げるであろう家庭や仕事以外の何か別のもの、ハドリーはそうしたものに惹かれています。妻とは別の女にかまけてみたり、新興宗教の教祖に入れ込んでみたり。しかし、そこにも満足するようなものはありません(こうした部分は晩年の神学へと結び付くところなのでしょう)。一種の地獄巡りを経たあとに家庭に戻ってきたハドリーは憑き物が落ちたような穏やかさを見せます。しかし、それは元のハドリーとは違う何者かでした。訳者の阿部氏はそれをディックのほかの作品に倣い「アンドロイド化」だと記していますが、それが何であれディックらしい敗残者の哀しみが感じられるラストでした。
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