長嶋有 『問いのない答え』 SNSが育むコミュニケーション
2014.01.19 23:35|小説|
『猛スピードで母は』『夕子ちゃんの近道』などの長嶋有氏の最新小説。
「答えのない問い」というのはよくあります。実際の人生においては、多くの問題には明確な答えなどないのですから。しかし「問いのない答え」というのはどういうことでしょうか? これは、この小説の登場人物の一人であるムネオが、周囲を巻き込んでツイッター上で行っているゲームみたいなもののことです。
僕自身はツイッターやフェイスブックなどのSNSは利用していませんが、世間では人とのつながりを求めるのか、そうしたSNSが大流行なようです。この小説もそうしたSNSを介した言葉のやりとりを小説化したような作品になっています。だから物語らしい展開はありません。登場人物は数多く、特段誰が主役ということもなく、言葉と言葉のつながりそのものが小説を形づくっていきます。
前の行のちょっとしたキーワードを受けて、次の行からは別人の話に飛んでいったりするので、最初はちょっと戸惑いますが、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりという展開するのはツイッター上のやりとりに似ているのかもしれません。
さて「答えのない問い」というゲームですが、これを詳しく説明すればこんなものです。たとえば質問者は「なにをしたい?」とだけ質問します。回答者は、この前提条件を著しく欠いた質問に、勝手な推測や自分の思い込みで答えます。「海にいきたい」「とりあえず濃いお茶が一杯のみたいです」といった常識的なものから、「あえて言えば裏返したいかな」といった意味不明な回答もあります。
実は最初の質問は、質問の前段部分が公開されていない、不正確な質問だったわけです。この質問の前段には「宝くじで三億円あたったら」が隠されているかもしれないし、「後ろにも目があったら」が入ってくるのかもしれません。つまり、質問の正確な意図を知る前に回答者は答えなければならず、トンチンカンなやりとりになるのは必定なわけです。
「宝くじで三億円あたったらなにをしたい?」という質問に「とりあえず濃いお茶が一杯のみたいです」と答える人ならば、突然の幸福にも身を持ち崩すことなく生きていけるような人となりがわかるかもしれません。「後ろにも目があったらなにがしたい?」という質問に「海にいきたい」と答えてしまったならば、誰にも知られずに後の目で水着の女性を盗み見るという願望が露になってしまうかもしれません。こんなある意味では無意味な、人とのつながりを確認するためのやりとりが「問いのない答え」というゲームです。
またこうしたエピソードのひとつで、2008年に現実に起きた「秋葉原通り魔事件」を取材するサキという小説家の話があります。犯人の加藤某は、ネット上の掲示板でさまざまな言葉を書き散らしたあげく、勝手に世間を敵視して凶行に及びました。小説家のサキは加藤を調べる課程で、こんなことを考えます。
そして「加藤はナイフを行使することで世間になにかを問うたのではなく、とにかくいきなり、なにも問われてないのに答えたんだ。」(p.93)とサキは推測します。ネットのサービスは人と人とのつながりを手助けするものであるわけですが、一方で加藤某のように勝手な思い込みからディスコミュニケーションに陥るような場合もあるようです。彼が何を問われていると勘違いしたかよくわかりませんが、この作品はコミュニケーションそのもの――それが幸福なつながりになるのか、酷い結果を招くのかはわかりませんが――そうしたものを描いているようです。
作者の長嶋有氏は題名の付け方がうまいと評されるようですが、この作品もさすがに絶妙で、常識的な「答えのない問い」ではない「問いのない答え」という奇妙な題名に惹かれて読んでしまいました。
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僕自身はツイッターやフェイスブックなどのSNSは利用していませんが、世間では人とのつながりを求めるのか、そうしたSNSが大流行なようです。この小説もそうしたSNSを介した言葉のやりとりを小説化したような作品になっています。だから物語らしい展開はありません。登場人物は数多く、特段誰が主役ということもなく、言葉と言葉のつながりそのものが小説を形づくっていきます。
前の行のちょっとしたキーワードを受けて、次の行からは別人の話に飛んでいったりするので、最初はちょっと戸惑いますが、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりという展開するのはツイッター上のやりとりに似ているのかもしれません。
さて「答えのない問い」というゲームですが、これを詳しく説明すればこんなものです。たとえば質問者は「なにをしたい?」とだけ質問します。回答者は、この前提条件を著しく欠いた質問に、勝手な推測や自分の思い込みで答えます。「海にいきたい」「とりあえず濃いお茶が一杯のみたいです」といった常識的なものから、「あえて言えば裏返したいかな」といった意味不明な回答もあります。
実は最初の質問は、質問の前段部分が公開されていない、不正確な質問だったわけです。この質問の前段には「宝くじで三億円あたったら」が隠されているかもしれないし、「後ろにも目があったら」が入ってくるのかもしれません。つまり、質問の正確な意図を知る前に回答者は答えなければならず、トンチンカンなやりとりになるのは必定なわけです。
「宝くじで三億円あたったらなにをしたい?」という質問に「とりあえず濃いお茶が一杯のみたいです」と答える人ならば、突然の幸福にも身を持ち崩すことなく生きていけるような人となりがわかるかもしれません。「後ろにも目があったらなにがしたい?」という質問に「海にいきたい」と答えてしまったならば、誰にも知られずに後の目で水着の女性を盗み見るという願望が露になってしまうかもしれません。こんなある意味では無意味な、人とのつながりを確認するためのやりとりが「問いのない答え」というゲームです。
またこうしたエピソードのひとつで、2008年に現実に起きた「秋葉原通り魔事件」を取材するサキという小説家の話があります。犯人の加藤某は、ネット上の掲示板でさまざまな言葉を書き散らしたあげく、勝手に世間を敵視して凶行に及びました。小説家のサキは加藤を調べる課程で、こんなことを考えます。
一方で「どうして?」という「問い」が、大勢からいっせいに加藤に向けられた。どうしてトラックで突っ込んで、ナイフを用いたのか? なぜ無関係の人間に不満をぶつけたのか?
その問いの前に答えがある。(p.92)
そして「加藤はナイフを行使することで世間になにかを問うたのではなく、とにかくいきなり、なにも問われてないのに答えたんだ。」(p.93)とサキは推測します。ネットのサービスは人と人とのつながりを手助けするものであるわけですが、一方で加藤某のように勝手な思い込みからディスコミュニケーションに陥るような場合もあるようです。彼が何を問われていると勘違いしたかよくわかりませんが、この作品はコミュニケーションそのもの――それが幸福なつながりになるのか、酷い結果を招くのかはわかりませんが――そうしたものを描いているようです。
作者の長嶋有氏は題名の付け方がうまいと評されるようですが、この作品もさすがに絶妙で、常識的な「答えのない問い」ではない「問いのない答え」という奇妙な題名に惹かれて読んでしまいました。
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