古市憲寿 『僕たちの前途』 オルタナティブとしての起業という生き方
2013.05.13 21:38|社会学|
古市憲寿氏は1985年生まれの社会学者。前著『絶望の国の幸福な若者たち』は、「朝まで生テレビ!」などでも取り上げられて話題になりました。
この本の題名の「前途」とは、われわれの「これから先の道のり」を指していますが、同時に古市氏の所属する有限会社「ゼント」のことも表しています。古市氏は東大の博士課程に籍を置きながらも、有限会社ゼントで執行役を務めています。この会社は古市氏の友人が起業したもので、『僕たちの前途』はその友人のような若い起業家に焦点を当てています。
日本は社会保障が脆弱な国です。だから会社に正規に所属しているかどうかが大きな問題となります。古市氏は「会社に所属しない生き方」のひとつとして起業家たちの姿を見ています。「アントレプレナー」というカタカナが一般にも聞かれるようになったのはいつごろからでしょうか? 起業家を志す人は増えているイメージだったのですが、現実はそうでないようです。古市氏は次のように記しています。
この本の第1章から第4章は、若き起業家のルポルタージュです。これを読んでも起業するのには役立ちませんが、世にも珍しい起業家の生態のごく一部を垣間見ることができます。
第1章に登場するのは古市氏の所属するゼントの社長ですが、この会社は「上場はしない。社員は三人から増やさない。社員全員が同じマンションの別の部屋に住む。お互いがそれぞれの家の鍵を持ち合っている」、そんな会社です。ゼントはホリエモンのように会社を大きくしようとはしません。人間が使える金銭には限りがあるし、社員が増えれば気の合わない人とも仕事をしなければならないからなんだとか。制約が多くなり、自分たちの好きなことができなくなるわけです。同じ起業家でもホリエモンとは価値観が違います。それが世代によるものか、パーソナリティによるものかはわかりませんが……。
古市氏は起業することに希望を見出しているわけではありません。古市氏が描く起業家たちには誰でもがなれるわけではないからです。彼らは専門的な技術を持ち、それを磨くうちに起業する形になってきたようです。その技術で大企業などとも仕事をするようになり、ごく一般的な「会社に所属して生きる」のとは別の生き方をつかんだわけです。彼らにとっては好きなことが仕事になっていて、生活そのものが仕事みたいなもの。だから社員という仲間はいつも近くに居て、就業時間など関係ない「生活=仕事」という生き方をしています。
古市氏の『希望難民ご一行様』では、目的を持ってピースボートに乗った若者が、そこに居場所を感じ仲間と集まっていること自体が心地よくなり、当初の目的はどうでもよくなる姿が描かれていました。『僕たちの前途』の古市氏にとってもそれは同様で、気心の知れた仲間と一緒にいることが、有意義な時間になっているようです。しかも金を稼ぐというひとつの目的も果たしている。しかし、こうした生き方が誰にでもできるわけではありません(ひきこもりが問題になる時代、コミュニケーションは厄介事です)。起業することが誰にでもできないのと同じです。この本のなかに「社会には抜け道が隠されている」という言葉がありますが、古市氏の描くこれらの姿はごく限られた人たちのもので、社会全般に敷衍できるものではないかもしれません。それでも「会社に所属して生きる」ばかりしか選択肢がないのは困るわけで、多様な働き方の姿としては学ぶべきものがあるのでしょう。
この本の題名の「前途」とは、われわれの「これから先の道のり」を指していますが、同時に古市氏の所属する有限会社「ゼント」のことも表しています。古市氏は東大の博士課程に籍を置きながらも、有限会社ゼントで執行役を務めています。この会社は古市氏の友人が起業したもので、『僕たちの前途』はその友人のような若い起業家に焦点を当てています。
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日本では働く人のうち約8割が「雇われて働く人」。会社を起こした起業家の割合はわずか2.5%しかいない。国際調査によれば、日本は世界で最も起業率が低く、起業活動が低調な国だ。(p.8)
この本の第1章から第4章は、若き起業家のルポルタージュです。これを読んでも起業するのには役立ちませんが、世にも珍しい起業家の生態のごく一部を垣間見ることができます。
第1章に登場するのは古市氏の所属するゼントの社長ですが、この会社は「上場はしない。社員は三人から増やさない。社員全員が同じマンションの別の部屋に住む。お互いがそれぞれの家の鍵を持ち合っている」、そんな会社です。ゼントはホリエモンのように会社を大きくしようとはしません。人間が使える金銭には限りがあるし、社員が増えれば気の合わない人とも仕事をしなければならないからなんだとか。制約が多くなり、自分たちの好きなことができなくなるわけです。同じ起業家でもホリエモンとは価値観が違います。それが世代によるものか、パーソナリティによるものかはわかりませんが……。
古市氏は起業することに希望を見出しているわけではありません。古市氏が描く起業家たちには誰でもがなれるわけではないからです。彼らは専門的な技術を持ち、それを磨くうちに起業する形になってきたようです。その技術で大企業などとも仕事をするようになり、ごく一般的な「会社に所属して生きる」のとは別の生き方をつかんだわけです。彼らにとっては好きなことが仕事になっていて、生活そのものが仕事みたいなもの。だから社員という仲間はいつも近くに居て、就業時間など関係ない「生活=仕事」という生き方をしています。
古市氏の『希望難民ご一行様』では、目的を持ってピースボートに乗った若者が、そこに居場所を感じ仲間と集まっていること自体が心地よくなり、当初の目的はどうでもよくなる姿が描かれていました。『僕たちの前途』の古市氏にとってもそれは同様で、気心の知れた仲間と一緒にいることが、有意義な時間になっているようです。しかも金を稼ぐというひとつの目的も果たしている。しかし、こうした生き方が誰にでもできるわけではありません(ひきこもりが問題になる時代、コミュニケーションは厄介事です)。起業することが誰にでもできないのと同じです。この本のなかに「社会には抜け道が隠されている」という言葉がありますが、古市氏の描くこれらの姿はごく限られた人たちのもので、社会全般に敷衍できるものではないかもしれません。それでも「会社に所属して生きる」ばかりしか選択肢がないのは困るわけで、多様な働き方の姿としては学ぶべきものがあるのでしょう。
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