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『ヴァルキリーズ』 人生訓としての物語

2013.06.11 23:08|小説
 世界的なベストセラー『アルケミスト』パウロ・コエーリョの作品。

ヴァルキリーズ (角川文庫)


 この小説はコエーリョの処女作『星の巡礼』にも描かれたRAM教団の体験の続きです。『星の巡礼』では、ルイス・ブ二ュエルの映画『銀河』などでも有名なサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が描かれました。『ヴァルキリーズ』では守護天使に会うために、ヴァルキリーズという女性たちと砂漠での旅に赴きます。ファンタジックな部分もありますが、実際の体験をもとに記されているとのこと。旅に出て試行錯誤を繰り返して成長するという点では、『星の巡礼』と同じような展開です。違うところは奥様とご一緒というところでしょうか。

 「私たちは長い年月一緒にいたわ。でも最初の二年間の喜びと情熱が終わってからは、毎日が私にとって試練になり始めたの。私たちの愛の炎を保つのは、とても難しかった。」(p.210)


 こんなふうに作者のコエーリョが奥様の視点から描く箇所もあって、夫婦での成長が目的となっていると言えるかもしれません。

 RAM教団というのはキリスト教系の神秘主義なのだと思いますが、主人公は一応魔法使いだし、天使なども顔を出しますし、本来のキリスト教からはかけ離れているようにも思えます。その教義もキリスト教以上にわからないものだから、この小説に書かれているエピソードもどこかデタラメな印象を与えるような気がします。もしかすると深い伝統があるのかもしれないのですが、神秘のベールに包まれているものだから教団以外の人には判断のしようがないのです。
 それでもコエーリョの作品が世界中で読まれているのは、それが魔法使いの修行といったファンタジーとしてよりも、その物語が「人生訓」として読まれているからのように思えます。コエーリョ作品の形容に使われる「スピリチュアリティ」という言葉はそのあたりを示しているような気がします。
 宮台真司氏によれば宗教は「前提を欠いた偶発性を無害なものとして受け入れ可能にすること」となります。スピリチュアリティというものは、先祖の霊などが登場したりしますが、それも宗教とは別の方法でこの世界を無害化して人生を肯定的に捉えるためのものに思えます。
 『現代霊性論』という本では、『仏教教理問答』にも登場した釈徹宗氏はこんなふうに語っています。

 キリスト教で語られるスピリチュアリティは、宗教の本質に至る一つの道のようなものであって、「宗教の下位概念」だったわけですが、現代では、宗教を含むもの、宗教の源泉――ちょうど地下水のような感じ――のようなイメージ(p.164)


 こんなふうにスピリチュアリティというものが、一般的には宗教の源泉(宗教の上位概念)として考えられ、狭義の宗教よりも幅広い「人生訓」的なものとして受け止められているような気がします。だから魔法使いでないわれわれにも、魔法使いの修行を人生における修行と同じようなものとして捉え、そこで語られる様々な智慧を「人生訓」として理解できるからこそ、コエーリョの本が読まれているのではないでしょうか。
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