fc2ブログ
11 | 2023/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
プロフィール

moyai

Author:moyai
興味の範囲はごく限られ、実用的なものはほとんどないかも。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログランキング

ランキングに参加しました。

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

『アンドレ・バザン 映画を信じた男』 映画批評はつらいよ?

2015.07.31 23:58|映画
 バザンの映画評論集『映画とは何か』の翻訳者である野崎歓が、アンドレ・バザンについて論じた文章を中心にした1冊。

アンドレ・バザン:映画を信じた男



 ちょっと前に取り上げた『映画とは何か』でアンドレ・バザンが繰り広げた映画批評という営み、それらはひとつひとつ重要なものだと思いますが、その批評が生まれてくることとなった周辺の事情に関しては現在の読者としては不案内です。バザン本人が詳しく説明するわけではないために、なぜそうした批評の言葉が選ばれているのかわかりにくい部分もあります。
 第二次大戦後のフランスでは「レクラム・フランセ」という雑誌が映画ジャーナリズムにおいては重要な位置を占めていたようです。サルトルなども文章を寄稿していたというこうした雑誌などで様々な映画批評が繰り広げられ、それはのちに「カイエ・デュ・シネマ」につながってもいくようです。
 そうした時代の流れがあり、業界の空気のようなものも存在したのだろうと思います。たとえば当時『市民ケーン』はフランスでは古い批評家たちに貶されていたようです。昔のサイレント作品のほうがもっと素晴らしいものがあったというような文脈で……。だからその頃『市民ケーン』褒めることは映画批評家としての立場を危うくするものでした。「『市民ケーン』の弁護は自らの評判を落としかねない、勇敢なとさえいうべき企て」(p.22)だったと言います。それでもバザンはそれをやってのけました。
 今では『市民ケーン』を褒めることは当たり前すぎることですが、当時のフランスでは違ったようです。この本はバザンの映画論『映画とは何か』を読むだけではわからない空白の部分を補うようにも読める本となっています。ただ『映画とは何か』の新訳と同時期に、この『アンドレ・バザン 映画を信じた男』が本としてまとめられたのは偶然だったようですが……。

 新作映画を時評していくという作業は、映画評論家としては怖いものなのかもしれません。その新作がその後どんなふうに評価されるのかもわからないままに、自分の信じる評価を示さなければならないわけですから。よくある映画のベスト10なんかですら、評者のセンスが問われるような部分があるわけで、時評家としてはその時代に総スカンを喰らっている作品を擁護するというのはやはり勇敢なことだったのだろうと思います。
 バザンが映画批評の世界にもたらした影響がどのようなものなのかはよくわかりませんが、たとえばロッセリーニの映画についての評言で、「大事なのは証明することではなく、ただ示すことなのである」(p.72)といった言い方はどこかで聞いたような批評の言葉にも思えました。もしかするとそれはバザンの影響だったのかもしれません。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント