パトリシア・ハイスミス 『キャロル』 若人の不安と……
2016.02.16 20:37|小説|
パトリシア・ハイスミスが1952年にクレア・モーガン名義で出版した小説。
今回は映画化に合わせて初めて翻訳が登場しました。翻訳は柿沼瑛子。
パトリシア・ハイスミスは人気のある作家のようです。本邦初の『キャロル』の翻訳ということで、アマゾンではベストセラー1位になっていて、一時は売れ切れとなっていたようです(僕も近くの本屋では見つからなかったので、都心の大型書店まで出向きました)。
『キャロル』が別名義で出版されたのは、題材が同性愛ということもありますが、純粋な恋愛小説となっていることも理由のようです。ヒッチコックの映画化作品でも有名な『見知らぬ乗客』でデビューしたハイスミスですが、その次の第二作が『キャロル』です。ミステリー作家というイメージで売りたかった出版社側の意向で別名義での出版となったようです。日本で翻訳が出ていなかったのも、人気のジャンルであるミステリーとは違ったからなのでしょう。

主人公のテレーズは舞台美術の仕事を夢見ていますが、現実的にはまだ仕事はなく、生活のためにクリスマス・シーズンに高級デパートの売り子のアルバイトをしています。そんなときに出会ったのがキャロルという年上の女性で、テレーズはキャロルと出会った瞬間に恋に落ちます。
テレーズは19歳の小娘です。自分の性的指向に関してもよくわかっていないようです。彼氏のリチャードもいますが、彼とのセックスはうまくいきませんし、結婚の申し込みにも心動かされることはありません。そんなときにキャロルと出会い、恋に落ちたことに戸惑いも感じています。そして、キャロルとは互いに好意は抱いていても、テレーズはどこまで進んでいいのかはわからず、ただキャロルの為すがままになっているようでもあります。
若いテレーズには大いなる未来が待ち受けている一方で、そこには不安もあります。テレーズはデパートの仕事で同僚ミセス・ロビチェクと知り合いますが、彼女の醜さに絶望的なものを感じ逃げ出します。憧れの対象としてキャロルがいてそれに惹かれるのと同時に、ミセス・ロビチェクのような女性になることへの恐れも抱いているわけです。ミセス・ロビチェクは冒頭にしか登場しませんが、キャロルとテレーズがふたりで旅行に出たあとも、折に触れてテレーズの心に浮かび上がってきます。
さらに同性愛ということがキャロルとテレーズに影を落としてきます。時代は50年代で同性愛は病気として扱われているのです。キャロルは夫ハージと離婚の話し合いを続けていて、ハージはキャロルの同性愛を理由にして娘を彼女から遠ざけようと画策しています。テレーズとの関係が明らかにされれば、キャロルをさらに不利な状況へと追い込むことになってしまうわけで、テレーズはキャロルと一緒にいたいという感情と、それによってキャロルを追い込んでしまうことの間で揺れ動くことになります。
※ 以下、ネタバレもありますのでご注意ください。

僕はハイスミスの小説は『リプリー』(『太陽がいっぱい』)しか読んでいないのですが、『リプリー』はミステリーの部分よりも殺人を犯して綱渡りのように逃げ回っていくリプリーの心理描写に感じ入りました。人間は誰しも多かれ少なかれそうした不安を抱えながら生きているものですから、リプリーの置かれた状況はそうした普遍的なものへとつながっていくものとして感じられたのです。
この『キャロル』にもそうした不安感があります。テレーズには将来ミセス・ロビチェクのような存在になるやもしれぬことに不安を感じます。同時にキャロルに惹かれていますが、女性同士の恋愛が成就するか否かはまったくわからないわけですし、成就すればしたで外部の状況によっていつ引き裂かれるかもわからない不安があるわけです。『キャロル』の「訳者あとがき」のなかで柿沼氏が記していますが、ハイスミスは「不安の詩人」と呼ばれたりもするとのことですが、この小説もその代名詞にぴったりの作品だったと思います。
『キャロル』のラストは意外にもハッピーエンドとなっていて、これは当時の同性愛小説では珍しいとのことです。しかしながら、単純なハッピーエンドというよりも、どちらに転んでもおかしくないというギリギリのラインを歩いていくような部分は、『リプリー』のそれとよく似ているような気がします。
テレーズは一度キャロルの誘いを断り、新しい生活へ踏み出そうとします。実際にそうすることもできたのでしょう。それでもテレーズは自分の意志でキャロルのところへ向かいます。かつてはキャロルの為すがままだったわけで、その後のふたりがどうなるかはともかくとしてテレーズの成長が感じられるラストでした。
今回は映画化に合わせて初めて翻訳が登場しました。翻訳は柿沼瑛子。
パトリシア・ハイスミスは人気のある作家のようです。本邦初の『キャロル』の翻訳ということで、アマゾンではベストセラー1位になっていて、一時は売れ切れとなっていたようです(僕も近くの本屋では見つからなかったので、都心の大型書店まで出向きました)。
『キャロル』が別名義で出版されたのは、題材が同性愛ということもありますが、純粋な恋愛小説となっていることも理由のようです。ヒッチコックの映画化作品でも有名な『見知らぬ乗客』でデビューしたハイスミスですが、その次の第二作が『キャロル』です。ミステリー作家というイメージで売りたかった出版社側の意向で別名義での出版となったようです。日本で翻訳が出ていなかったのも、人気のジャンルであるミステリーとは違ったからなのでしょう。
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主人公のテレーズは舞台美術の仕事を夢見ていますが、現実的にはまだ仕事はなく、生活のためにクリスマス・シーズンに高級デパートの売り子のアルバイトをしています。そんなときに出会ったのがキャロルという年上の女性で、テレーズはキャロルと出会った瞬間に恋に落ちます。
テレーズは19歳の小娘です。自分の性的指向に関してもよくわかっていないようです。彼氏のリチャードもいますが、彼とのセックスはうまくいきませんし、結婚の申し込みにも心動かされることはありません。そんなときにキャロルと出会い、恋に落ちたことに戸惑いも感じています。そして、キャロルとは互いに好意は抱いていても、テレーズはどこまで進んでいいのかはわからず、ただキャロルの為すがままになっているようでもあります。
若いテレーズには大いなる未来が待ち受けている一方で、そこには不安もあります。テレーズはデパートの仕事で同僚ミセス・ロビチェクと知り合いますが、彼女の醜さに絶望的なものを感じ逃げ出します。憧れの対象としてキャロルがいてそれに惹かれるのと同時に、ミセス・ロビチェクのような女性になることへの恐れも抱いているわけです。ミセス・ロビチェクは冒頭にしか登場しませんが、キャロルとテレーズがふたりで旅行に出たあとも、折に触れてテレーズの心に浮かび上がってきます。
さらに同性愛ということがキャロルとテレーズに影を落としてきます。時代は50年代で同性愛は病気として扱われているのです。キャロルは夫ハージと離婚の話し合いを続けていて、ハージはキャロルの同性愛を理由にして娘を彼女から遠ざけようと画策しています。テレーズとの関係が明らかにされれば、キャロルをさらに不利な状況へと追い込むことになってしまうわけで、テレーズはキャロルと一緒にいたいという感情と、それによってキャロルを追い込んでしまうことの間で揺れ動くことになります。
※ 以下、ネタバレもありますのでご注意ください。

僕はハイスミスの小説は『リプリー』(『太陽がいっぱい』)しか読んでいないのですが、『リプリー』はミステリーの部分よりも殺人を犯して綱渡りのように逃げ回っていくリプリーの心理描写に感じ入りました。人間は誰しも多かれ少なかれそうした不安を抱えながら生きているものですから、リプリーの置かれた状況はそうした普遍的なものへとつながっていくものとして感じられたのです。
この『キャロル』にもそうした不安感があります。テレーズには将来ミセス・ロビチェクのような存在になるやもしれぬことに不安を感じます。同時にキャロルに惹かれていますが、女性同士の恋愛が成就するか否かはまったくわからないわけですし、成就すればしたで外部の状況によっていつ引き裂かれるかもわからない不安があるわけです。『キャロル』の「訳者あとがき」のなかで柿沼氏が記していますが、ハイスミスは「不安の詩人」と呼ばれたりもするとのことですが、この小説もその代名詞にぴったりの作品だったと思います。
『キャロル』のラストは意外にもハッピーエンドとなっていて、これは当時の同性愛小説では珍しいとのことです。しかしながら、単純なハッピーエンドというよりも、どちらに転んでもおかしくないというギリギリのラインを歩いていくような部分は、『リプリー』のそれとよく似ているような気がします。
テレーズは一度キャロルの誘いを断り、新しい生活へ踏み出そうとします。実際にそうすることもできたのでしょう。それでもテレーズは自分の意志でキャロルのところへ向かいます。かつてはキャロルの為すがままだったわけで、その後のふたりがどうなるかはともかくとしてテレーズの成長が感じられるラストでした。
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